ブログがつまらなくなる継続を妨げる思考 偉人達人にしか発言権がないって思いこみ

影響力なんかないのが現実

 

自分がブログを続けてこれた理由は何か?

 

『俺の脳ミソは俺の物』

 

これがあったからだなと。

誰かとの比較をやってこなかったのが良かった。

 

人生だってそういうものかもしれません。

 

圧倒的な本物、偉大な人と比較したらカスみたいな自分。

そこに説得力なんかありゃしない。

沢山の人を動かせる何かなんて持ってない。

その差を見ればやってること全部無駄っちゃ無駄。

評価してくれる人なんかいるわけもなし。

 

だからま~あれです。

 

「もう好きにしていいってことだな!」

 

これを強く強く感じた次第。

どうせ誰も気にしてないんだから楽しくやるのが正解。

 

人類に貢献してるような大人物、その道を極めんとする超プロフェッショナルと比較し続けてたら何もできなくなっちゃう、存在を許されなくなっちゃいますよね。

 

人のことばかり気にして続けるのは面白くない。

偉人達人とは言ってもしょせんは他人様。

偉大だったらなおさら俺の脳みそも人生もコピーできんだろって話。

ツッコミどころ満載だろうがまず自分が楽しいのが何より。

 

『俺の頭は俺の物』

 

無駄もゴミも合わせて自分しか持ってない愉快な道具。

むしろその無駄とゴミがあるからこそ面白いまである。

 

他人様に期待も絶望もせず好きに続けた方が楽しいですね。

 

【スポンサーリンク】

 

 

雲の上の存在ばかり気にしても大して面白くない

 

上を行きすぎてる人、悟りの境地に達しているような人。

言葉の重みも説得力も次元が違うことでしょう。

たった一言にでも百の意味を込めることだってできるかもしれません。

 

ところがまぁ、あまりにも次元が違うゆえに理解できないことが多々ある気もしたり。

こちらが力不足すぎてそれそのまま鵜呑みにするのは危険だと感じることもしばしば。

 

楽器・音楽の話で言うとたとえば、

 

「練習するな!」

 

この一言なんかは実に厄介。

 

多くの意味が込められた深い領域の話。

そう考えさせられることも確かに存在します。

人生の全てが音にも芸術にもなるのだと言われれば納得。

 

しかしこれを「あ、そうなんだ。別にそれでいいんだ。」ぐらいにしか受け取れない段階で真に受けてしまい、楽してサボっていいんだと安易に実行してしまうと色々悲惨。

 

「でも若い頃は練習に明け暮れたんでしょ?」なんて冷静に尋ねてみると、

 

 「当然だろ!練習せず上手くなれるか!」

 

平然とこんな答えが返ってきたりするから恐ろしい。

 

失ってしまった純粋さを求めるがゆえに苦労する人もいたり、人間なんて本当に分かりません。

 

その飢えと渇望の結果、純粋な初心者またはまったく別のジャンルから学ぼうとする人がもいても何もおかしくはない。

 

上に存在するが為に中途半端な経験者を嫌う人もいるであろう一方、半端で発展途上だからこそ初心者が必要としてる技術や知識を伝えやすい面があっても不思議じゃない。

 

あまりに深い領域に住みすぎるのも一つには考えもの。

 

神のように尊敬していた我が恩師など最期は疑問の結末。

どこまでも己を高めんとする素晴らしい音楽家が自ら命を絶ってしまった事実。

自分の中でとてつもなく大きな出来事として残っています。

今こうして生きているんだから、生き物としては自分の方が優れていたとも言えそうです

 

浅いなりにも伝えられること楽しめることもある。

それが誠実に本心から来るものなのであれば尚更。

理屈的にめちゃくちゃでも、だからこその発想や価値もあるかもしれない。

間違っていたとしても、それに気付いて直して成長していけばいい。

 

偉人達人にしかこの世に存在する価値がない、発言も許されないなんて認識していると恐ろしくつまらなくなってしまいますね。

 

難しすぎて深すぎてどうにもならない、何もできなくなる。

 

それを盾に人にぶつけるようになるともう最悪。

 

「あの人が言ってた!」

「お前如きが生意気!」

「語る資格などない!」

 

こんなことを言い出すと自らの居場所も発言権もなくなってくるから恐ろしい。 

自分で首絞めて口縫って閉じて漏れてくるのは悪口と愚痴ばかりとか辛いだけ。

 

あまり深くも難しくもなく、軽いには軽いなりの良さがあっていいんじゃないかと。

心配せずとも怒らずとも消えるものは消えゆき、淘汰されていきます。 

 

【スポンサーリンク】
 

 

人様に都合よく期待したって疲れるだけ

 

自分自身が本当に完璧に好きにやれてるのかどうか?

そこまで問われるとさすがに微妙な部分もあったりはします。

堂々全部出しているまでは言えません。

 

一方、あまり意識していないことを述べるならば、

 

「良い事を話さないといけない!」

「価値のある人間になりたい!」

「人の役に立ちたい!世の中に貢献したい!」

 

こういう立派なことはほとんど考えてません。

素晴らしい姿勢だとは思いますが、こればかりじゃ息苦しくて疲れちゃいますよね。

 

加えて、この中に他人に対する見返りを求める心があるようだと、自分的にはすぐに崩壊していってしまう、継続なんてものはとてもできなくなる自信があります。

 

・誰も見てなくても応援がなくても続けられる

・好きにやってたら何か楽しんでくれてる人がいた

・勝手に役立ててくれてる人もいて面白い

 

この方が気楽でいい。

 

人間的に正しいのかどうか、生きる姿勢としてどうかって話にもなりそうだけれど、人様をコントロールしようとするのもされるのも、どっちも削られちゃっていけません。

 

ましてや、勝手に期待して幻滅して怒りや敵意まで向けるとかどう考えても真っ当じゃない。

他人と世の中を不当に不毛に恨みだすなんてあまりに不幸。 

 

ブログ的な話、アクセス数の面から言えば、自分が書いてて実はそこまで関心がない記事が伸びたりもするのが現実。

大手企業から外部リンクされた結果、通常の数倍のアクセス、予想外に伸びたりすることもありました。

 

でもまぁこれって本当、こっちからはコントロールできない問題ですよね。

その風と流れすら読んで挑戦していく人もいるんだろうけど、自分にゃ~無理。

 

『俺のベース話』

 

このブログはこれだけできれば十分。

それが楽しい限りは続けられるでしょう。

 

偉人でも達人でもない。

誰かに都合のよい立派な人になろうとも思わない。

世の中を変えられるとも考えてない。

だから楽。

 

無理に捻くれんでも作らんでも俺は俺。

大層な目標も覇気なくとも続けられます。

 

継続するならこれ。

 

『望むままを行え』

 

素直が一番ですね。 

人に無関心なぐらいで丁度いい。

 

www.pompombass.com

 

www.pompombass.com

 

www.pompombass.com

 

www.pompombass.com

 

www.pompombass.com