ブログ三年目&600記事達成 継続のコツは書き始める事 自分の脳みそに興味を持つ事

ブログ600記事達成

 

 

600記事の感想

 

「やっときたかぁ」って感じですね。

 

毎日更新ではなくなった為、500記事達成から時間はかかりましたが、それでもここまで積み重ねることができました。

 

まぁほんと、よくもこんなに書くことが続くものだと自分で自分にあらためて関心してしまうところ。

 

これだけ書いていると逆に「ブログなんて気楽にやりゃいいんだよ!」なんて安易には言えなくなってしまう面もあるかもしれません。

 

たとえば、いざブログを始めてみたは良いけれど、

 

「何を書いていいか分からない・・」

「書くことが面白くない・・」

「どうやっても継続できる気がしない・・」

 

など、この状態のまま無理に続けていくのは苦行でしかなさそうです。

 

文学的にどうだの文才云々言い出したら、わたくしなんぞはカスどころの話ではありません。

複雑かつ美しい表現をするとか新たな世界をつくりだすとか、な~んもできませんもんね。

 

そんな尊い能力や技術を持たない身でも継続することができる謎の力。

これが何なのか正直よく分からなくなってきました。

 

『楽しい』とか『好き』とかそういう明るく素敵な話ではどうやらなさげ。

もっと幼稚で暗くドロドロしてる部分が本体だと考えた方が正解っぽい?

 

良くも悪くもそれがある限り燃料には困らなそうです。

 

毎日続けられるのはソシャゲにハマるノリに近いのかもしれない

 

ブログ三年目。

そして今こうして600記事目を書いている身。

そこで思う継続のコツとは何か?

 

『書き始める』

 

これに尽きます。

書かなきゃ記事にはなりません。

 

毎日の記事更新はやめてしまいましたが、他の記事の手直しをしたり、内部リンクを変更してみたり、毎日毎日、何かしらブログの作業をしているのは間違いない自分。

 

もうあれです、あーだこーだと言う前に何かやっちゃう状態ですね。

 

ソシャゲにハマってたのがそっくりそのままブログになったとでも言えばよいのか、分かる人には分かる感覚なんじゃないかと。

 

自分はそういう類のものに課金はほとんどしなかったタイプ。

無課金、微課金の不利な条件だからこその攻略を楽しんでしまう方。

無茶な中で工夫を見い出してゲームをやるのが好きだったりします。

 

ただ、それも良いことばかりではありません。

 

代わりに時間を惜しみなく使ってしまうスタイルになる為、ある意味こっちの方が危機的、致命的だと言うこともできそうです。

 

・自制するつもりがやってしまう

・プレイ時間もついつい長くなってしまう

・熱中してコントロールを失う

 

課金はせずとも湯水のごとく時間が消えていくのは非常に危険。

 

それを考えると、

 

『飽きたらそれまで』

『データが消えたら全部終わり』

『金なんか一銭も返ってこない』

 

こんな世界に時間を投資するよりは、様々な面に繋げることも可能なブログに力を注げる方がまだ健全な財産になってくれそうだと思うところ。

 

絵が描ける、小説を書ける、企画をつくれる、人と繋がり集めて広げていけるなど、そういう人だったらゲームに没頭することにも価値を生めそうですし、ガンガン創作したりアクティブに動けるならとても素晴らしいこと。

 

一方、完全自己完結&瞬間の満足を得るだけで本当に何も残らないのは辛い。

満足するどころかストレスを植え付けられているだけ、まったく気分転換にもならないのでは地獄絵図。

 

『自分を気持ちよくして終わり』という意味においてはこのブログも似たようなものですが、一方的に提供されるだけで終わるのと自分で価値をひねり出してみるのとでは、だいぶ意味が違うと実感。

 

今回の記事タイトルにもありますが、

 

『自分の脳みそに興味を持って言葉にしてみる』

 

これをやるのは果てしなく面白いことなのでおすすめ。

 

比較して脳を快楽的に麻痺させる方向に行きがちなゲームの世界。

こちらには危険なものを感じるようになってしまいました。

大好きだし楽しいけど得られるものが不毛すぎる状況は怖い。

 

意味不明な話かもしれませんが、ゲームに向けてたエネルギーや楽しさ、時間をブログに向けることができるようになったのは、自分の中で相当大きな変化かもしれませんね。

 

好きなこと、自然と続けられることを一本化したとでも言いますが、ベースのことをより多く深く考えられるようになったのは非常に喜ばしい話。

 

たとえば、「あ~、今日はもうベース弾きたくねぇかなぁ」となったとしても面白いんです。

 

「よっしゃ!ブログでベースの話するか!」

 

こう変換できるんですね。

 

「あれ欲しいわ~、いやこれも欲しいわ~」なんてことになったとしても、それもネタにできるし、文字にして発散して冷静になって物欲を抑えることもできるから楽しい。

 

ゲーム感覚、遊び感覚で自然とブログを書けるようになった状態。

是非はどうあれ、継続できる要因になっているのは確か。

 

消されるリスクが同じくあってもバックアップはしておけます。

言葉を練ってアウトプットする積み重ねも無駄にはなりません。

 

ちょっと不謹慎なようですが、

 

『健全な中毒状態』

 

こういう感じで続けられている気がしますね。

 

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月間アクセス 40,000PV突破

 

1月のアクセスが4万を突破してびっくり。

これ、前年と比較すると5倍以上になってます。

ついでに言うと、今年の二か月間で前年の半年分を超えそうです。

 

基本的に自分本位、自分の遊び目的のためにあるのがこのブログ。

しかし、ここまで来るとさすがにありがたく思えてきましたね。

 

最近、Twitterの方針を変えまして、ブログの更新報告だけではなく軽い話なんぞもするようになりましたが、こっちはこっちで楽しくて良い感じ。

 

縦振動のタッチに興味を持ったとか、実際にジラウドに行って来たなど、こういう話をいただくとやっぱりテンション上がってしまいます。

 

自分のブログが何か良いことに繋がったのであればこんな嬉しい話はありません。

 

アクセス数の話といい「人のことは気にせずやってる」という話と矛盾するようですが、

 

『好き勝手やってたらいつの間にか楽しんでくれてる人がいた』

 

こんな素敵に面白い話をかっこつけて無視しようするのは損というもの。

 

アクセスが増えていることも素直に喜びたい。

継続の結果を確認できる意味でも無理して認識しないように努める必要もない。

小さなことでもくだらないことでも結果が出たら喜んだ方が幸せ。

 

と言うか、前年比5倍以上という事実、「年間10万PV行ったらめっちゃ凄くね?」なんて発言してたことを考えると、これを矮小な変化と見るのはちと無理があるような気がするところ。

 

一日に100PV行くのも凄い成果だと思ってた時期もある中、1500PVを超えることも珍しくなくなってきたのが現在。

 

ブログに対する認識も意識もそりゃ変わるかと納得。

実に色々な意味で楽しく大切な存在になってきました。

 

以前に書けた事は今では書けないと思う

 

前述した通り、手直しもよくやっているこのブログ。

以前の記事を見ると違和感を覚える部分もあるのが面白い。

 

たとえば、

 

「精神論と根性論は嫌いだ!」

 

なんてよく言っていましたが、

 

「まぁなんだかんだ体力気力根性だよな!」

 

という隠れた本音が強くなったか素直になってきた現在、その手の記事はちょっと書きづらくもあったり、そこに逆らうエネルギーは減っているかもしれません。

 

「物事が良い方向に進むなら何でも使えばええやん」というノリになったとでも言いますか、精神でも根性でもあるものは使ってしまえばよいと。

 

ただ、それを言い出しちゃうと言葉として弱くなる印象が出てきます。

「これを伝えたい!」って部分がボヤけちゃう気がする。

良くも悪くもその時にしか書けなかった記事があることを痛感。

 

他にも「あぁ、この時はなんか変なもんにかぶれてたんだろうな」とか、「お、おぉ?よく分かんねーぞ!?」なんて困惑したり、それを見るのもまた楽しいですね。

 

あまりに分かりづらい場合、読んでくれた人には申し訳なく思うところでもありますが、あまりそれを気にしだしちゃうと書くのが面倒、ストレスになって続かなくなるのがオチ。

 

後で見直していまいちに感じたり後悔することもあるけど、

 

「まずは思うまま望むまま書くべし!」

 

これは変わらない結論ですね。

その時に書きたいことはその時にしか書けません。

 

未熟でも無知でも何でもよし。

むしろそれが真似できない武器になるとも見れる。

後からその状態に戻ることは不可能だと考えた方がよい。

 

自分の性格の利点を考えるのであれば、「あの頃だったらもっと出来たはず!」とか「もっとこうだったんだ!」など、そうやって考えることがほとんどないってのが気楽で良かったり。

 

今は今で違うことができる、過去の自分じゃまったく実現できなかったことができるようになってる、それをいちいち悪いことだと認識してたら疲れちゃいます。

 

完全無欠の超人になるとか無理。

それを目指すには足らないものが多すぎ。

絶対手に入らないものばかりなんだから実現なんて不可能。

 

気張る気張らないは本人の自由。

鼓舞や成長のためにブログを利用するのも素晴らしい。

 

でも本当、継続するならこれが大事だと思います。

 

『素直にやる』

 

嘘ついてばっかりは色々しんどい。

 

この『素直』というのも「綺麗に」って意味じゃなく、

 

「捻くれたいなら捻くれろ!嫌われたいなら嫌われろ!馬鹿になりたいなら馬鹿になれ!望むままを行え!」

 

やりたいようにやればいい、自らの希望と欲望に忠実になってみようってことですね。

 

その時の素直はその時にしか素直にやれません。 

後で見て痛くて直視できないほど『超楽しくやってた』と考えればよし。

 

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無駄が沢山あると逆に真似できないのかもしれない

 

クソどうでもいいパーソナルな話が多いこのブログ。

と言うか、ブログってそういうものなんじゃないかと認識しています。

 

そこで思うに、 人の真似をしようってことがいかに困難で理不尽な面が多いか、それを痛切に感じるかもしれません。

 

無駄でしかない『クソどうでもいい要素』まで必要になるって恐ろしい話ですよね。

非効率だろうが無駄で無価値だろうが問答無用。

その人間を形成するになぜだか必須になってしまうという無茶苦茶。

 

たとえば、このブログを丸ごとパクって独自に継続もしていくとしたら、ポングって人間の脳みそを必死にコピー、どうでもいいことにまで付き合わないといけない冥獄界。

 

ま~、考えただけでもおぞましい。

自分勝手でまんまな方がいかに楽かと安心してしまいます。

 

「この方が効率が良い!」と言っても、それはその人にとってだけの正解な可能性はあるし、『誰かの正しい』が自分にとっても本当に正しいかなんて分かりません。

 

『無駄の集合体』だからこそ、誰がどうやったって真似できなくなっていくという、そういう見方もあります。

 

一方、積み重ねのない『ただの逃げ』になってしまう場合、集合体でもなんでもなく終わってしまいそうなのが怖い。

 

『継続は力なり』

 

全ての面において実感するこの言葉。

 

もっとさらに付け加えるのであれば、

 

『継続は己なり』

 

こういうことも言えそうですよね。

 

・無駄なゴミでもカスでも積み重なって自分になる

・良いも悪いも関係なく他とは違う人間が形成される

・真似をしてても結局は別の何かが出来上がる

 

結局、どうやっても自分は自分でしかないなと。

だったらなるべく楽しく1mmでも進んでいく方が良いはず。

ブログ続けてきて思ったのはそんなことですね。

 

さらにのんびりペースにしようかと考えているこのブログ。

変わらずベースメインでやっていくつもりしかありませんが、カオスな変化を加えるのも面白い。

 

何年かかるか分かりませんが、1000記事行ったら笑っちゃいます。

そうそうできることではないと納得してやりたい次第。

 

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