【リライト版】 演奏方法をもっと言語的に細分化や表現化できないものかと考えてみる

 

就寝の際、いきなり頭が回転を始めて勢いで書いてしまった記事。 

この記事は本当、自分の中で非常に重要な存在になっているんですよね。

 

あの時は考える前に言葉が溢れてきたと申しますか、

 

『書かされてる』

 

そんな気すらしました。

 

意味不明な衝動、謎の作業スピード、今考えても不思議な体験だった次第。

 

オリジナルの方はそのままとっておきたいのと、読みにくくて自分で辛くなる為、それを今回はもうちょっと分かりやすくまとめていきたいと思います。

 

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演奏方法の言語化・細分化・表現化

 

 

それでいいのか2フィンガー

 

縦振動だろうが横振動だろうが、音が太かろうが細かろうが、叩きつけようが優しく弾こうが、指先で弾こうが付け根を動かし弾こうが、関係なし。

 

全部まとめて

 

『2フィンガー』

 

よくよく考えると、こんな乱暴な話もない気がするところ。

 

たとえばの話、日本語で一人称を挙げる場合、

 

【僕、私、俺、自分、余、拙者、小生、おいどん、わし、わたくし、あーし、あたし、自分の名前】

 

などなど、色々存在するものだと思います。

 

海外がどうなのかは知りませんが、日本語独自のものだと考えた場合、非常にユニークなところではないでしょうか。

 

にもかかわらずです。

 

「指弾き」

「2フィンガー」

「理屈じゃない」

 

そんな淡泊な一言で終わらせてよいのかとやはり疑問になります。

 

繊細に弾くにも乱暴に弾くにも同じ言葉でまとめてしまう。

実はかなりまずい話なんじゃないかと。

 

タッチを分析してみる

 

たとえば縦振動のタッチがぜんぜん身に付かない人、音が細い人の場合、

 

「指先曲げひっかけこすり横弾き」

 

なんて感じの弾き方をしているんじゃないかと想像します。

 

一方、縦振動を実践しようとする場合、

 

「弦垂直押しこみ圧力がけ指付け根しならせ高速弦抜き弾き」

 

 なんて感じになるかもしれません。

 

とりあえずの思いつきによるテキトーな話の為、この言い方が正解か的確か、それはまったく考えていませんのであしからず。

 

いずれにせよ、前者の弾き方に比べたら後者の方が音の太さも指の使い方も明らかに変わるのではないかと思うところ。

 

スラップなどにしてもよくよく考えると何だか不思議な気もしてきます。

 

あれもある意味では『指弾き』であるはずなのに、そう認識したりそう呼ぶ人がいないだろうというのが面白い話。

 

そりゃもちろん、『親指回転打撃奏法』なんて言い方や解釈がいいとは思いません。

そもそも、何でも日本語化、安易に言葉にすればいいってもんじゃない。

 

一方でやはり、

 

『スラップ』

 

全部ひっくるめてこの一言で済ますのはあまりに乱暴な気がするかなと。

言葉としても淡泊すぎるように感じますよね。

 

ラリー・グラハムやルイス・ジョンソン、マーカス・ミラーにヴィクターウッテン。

いずれも素晴らしいプレイヤー、オリジナリティに溢れたスタイルを持つミュージシャン。

 

にもかかわらず、やっていることをひとくくりにしたままで良いのか疑問が湧きます。

 

『チョッパー』なんて言葉はもう淘汰されてしまったかもしれないけど、「スラップとはちょっと違う!」と言いたくなる気持ちというのは分かりますね。

 

共通の認識として一つの言葉にまとめた方が伝えやすくなるのは間違いはなさそうですが、選択肢や認識の幅を狭めてしまう恐れもあるように感じます。

 

言語として細分化してみることで動作や表現力というのは意外なほど変わってくるのではないかと想像。

 

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言葉を持たないと見えるものも少なくなる?

 

先日、

 

「縦振動が宗教くさいと言うその心理が分からない」

「そもそもなぜ縦か横かの優劣を決める話になっているのか」

「唯一絶対を決めようとする姿勢の方がカルト的ではないか」

「自分から表現の幅を放棄しようとする意味が分からない」

 

というような旨の話をしました。

 

事実として音が変わるのにかたくなに認めない。

強烈な自己暗示で認識を曲げようとすらしているように感じる怖さもあります。

 

ただ、分からないでもない部分もあるかもしれません。

それだけ視野が狭かったり、知らないことだらけなのでは無理もないのかなと。

 

自分の中の価値観と経験値だけに頼った場合、極端に狭く偏見に満ちたイメージしかできないのではないかと確かに思います。

 

それこそ「2フィンガー」と言ったら、それを一種類の弾き方でしかイメージできなかったり、音色も一つに限定しようとしたり、そんな捉え方をしてしまう可能性もある。

 

「宗教だ!」

「信者だ!」

「オカルトだ」

 

こういう言葉でレッテルを貼ったり拒絶するような人の方が、実はものすごく排他的。

過激な一神論的思考、カルト的な価値観に染まっている気がするのは皮肉としか言いようがない。

 

柔軟性の欠片もない頭になってしまっているようにも感じますが、それも言葉として認識できない、分析もできないままでいた場合、どうやっても修正は不可能なのかと恐怖さえ抱きます。

 

・考えないことが楽

・分からないままが楽

・見下すことが快楽

 

思考できずにこうなってしまうのは悲しくすらありますよね。

 

考えるのが面倒で思考を放棄。

柔軟に切り替えるという発想もまったくない。

自分の頭が楽な方にしか進むことができない。

 

「縦が絶対!」

「いや横だ!」

「全部胡散くさい!」

 

言うまでもなく、こんな姿勢には抵抗を覚えます。

 

理屈じゃない感動の中にも分析すれば理屈はある

 

タッチコントロールのオカルト視という異常事態。

 

それというのは、奏法の言語的細分化や表現化があまりにも成されていない結果なのかと感じる話でもあります。

 

ちょっと嫌味か皮肉っぽく言うのであれば、

 

「弦垂直押し込み横引っ張り斜め抜き弾き」

 

こんなタッチで弾いている人も世の中には存在するんじゃないかと。

そもそもの話、縦か横しかないなんて認識はやっぱりおかしいんですよね。

 

そんな少ない言葉と価値観で楽器を演奏する方法をまとめてしまうのは、あまりにつまらなく窮屈に思えてなりません。

 

「太い音を出したい!」と考えたとして、ただ闇雲にイメージの世界に頼って指を動かそうとして終わらせるか?

 

それとも、どう指を動かすのか弦を扱うのかをちゃんと考えるか?

言語として細分化、詳細化して挑んでみるか?

 

意識でも伝え方でもそこには絶対に違いが生まれる。

 

少なくとも、縦振動のタッチを身につけしようとした場合、先程の「指先曲げひっかけこすり横弾き」では実現不可能だと考えます。

 

「指先ひっかけ弦横側こすりどんそく弾き」みたいなことをやってても無理でしょう。

 

『垂直』とか『押しこみ』とか、やはりそういった言葉が鍵になると思いますし、『高速』『しなり』とか『指の付け根』など、そのあたりもキーワードになるはず。

 

指の付け根にしても『第三関節』と言うのか『中手指節間関節』と言うのか?

 

どれが良いか正しいか、自分にとってどれがしっくり来るか、それは各々の判断に委ねられますが、そうやって調べて人体について知っていくだけでも、感覚が変わってくる可能性はあります。

 

『指弾き』にしても「指先だけ弾き」になってないか?

「弦こすり弾き」になってないか?

「指叩きつけ弾き」になってないか?

「指振り上げ弾き」になってないか?

 

実に色々考えることができそうです。

 

イメージや理想を言葉にして試行錯誤する

 

実際にタッチのイメージ、音的なイメージをつくってみます。

曖昧でも簡単でもとりあえず無理にやってしまいましょう。

 

たとえばアイアンメイデンのスティーブ・ハリス。

 

彼の場合などは、

 

『鋼鉄弾き』

『硬指打』

『バッキバキ!』

 

みたいな感じだなと。

やっぱり、金属感や打撃的なイメージがしっくり来ますね。

 

そしてそれと同じような方向のことを自分なりにやりたくなったとしたら、もうちょい重く鈍い方向の方が好みに合ってそうです。

 

『ハンマーフィンガー』という感じでいきたいところかもしれません。

長くなるから入れてませんが『ヘヴィ』って言葉とイメージも外せない。

 

『暴力弾き』とかだとさすがに行きすぎか、ちょっと違うものになってしまいそうなので、これは却下ですね。

 

指弾きをするからにはやはり『指』って文字は入れたくなりますし、

 

『重打指』

 

とかそんなノリで弾きたいかなと。

 

ただ、これだと読み方が「ジューダス」にもなっちゃいそうで、また別のものを連想するような気がしたり。

 

いずれにせよ、こうして出したい音を言葉にしてみるのは面白いものだと思います。

 

その理想やイメージを音として強烈に伝えられる人ほど、言葉にもしやすく印象としても残りやすいのかもしれませんよね。

 

そう考えるとやっぱり、

 

『指弾き』

2フィンガー』

 

これでは個性もクソもありません。

単純につまらないし、イメージも希薄になってしまう。

 

「この世で自分だけの音を作りたい!」という気持ちは、漫画の必殺技を編み出すのと同じような感覚なのではないかと個人的には感じます。

 

誰にも理解されない変な言葉でもよし。

具体的に名付けて理想も描いていれば、本当に音が変わってくる可能性もあるんじゃないかと。

 

自分のの話をするならば、修羅の門の『虎砲』という技が好きなので、縦振動の実現に対しては『虎砲奏』とか名付けてそのイメージで練習していったら、音が変わりそうに思えてきます。

 

「ショットガンスラップ!」とか言ったら、マーク・キングあたりが想像できそうな気がしますし、安易でもなんでもそういったイメージづくりをするのは悪いことではない。

 

そこに加えて具体的な方法論まで編み出せれば、理想の実現への道が近付いていくことになるはず。

 

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足りないものがあるなら言葉で突破口を開いてみるのも面白い

 

日本語が細かな表現をするに便利に使えるものなのであれば、ベースに対する可能性というのも多く眠っているものだと考える次第。

 

言語を駆使した奏法の表現ができないものなのか、もっと読んでいて面白い奏法の解説などはできないものだろうか、それを研究していくのも真面目に有りだと感じます。

 

「とにかく上手くなりたい!」

「イメージ通りに体を動かせるようになりたい!」

「太い音も繊細な音も自由に出せるようになりたい!」

 

この実現の為にどうするか?

イメージをどう言葉にすべきなのか?

具体的に何をして実現すべきなのか?

 

ここで「才能がない・・」とか「センスがない・・」なんて一言で終わらせようとか諦めようとしたら、そりゃ上手くいくわけがない。

 

絶対に楽しくもならないでしょう。

 

ちょっと極端なようですが、

 

「バ~ン!って弾いてドーン!だ!」

「グッときてズバババーンだ!」

 

これって凄く大事な感覚だと思います。

 

こんな話をするといかにも感覚派だったり、役に立たない説明のように聞こえそうですが、実は超具体的でもあるはずなんですよね。

 

少なくとも、何も考えず感覚的に曖昧にあれこれ迷ってるよりは言語として表現する力も伝える力も強かったり、実用性も遥か上のようにも思えるかもしれません。

 

その場、その時、その瞬間では分からずとも、のちに急に覚醒して理解できるようになる可能性だってあります。

 

「この曲は指弾きでお願いね~」と指示されるのと、

 

「この曲はバーニングツヴァイフィンガー指びきにしてくれ!」

 

と言われるのでは、弾き方もサウンドも絶対違ってくるはず。

 

まぁ、困惑も避けられない気はしますし、実際、本気でわけの分からないノリの人っているから恐ろしい。

 

しかし、そうやって言葉として相手に意図を伝える力って案外、感覚派みたいな人の方が持ってるものでもあるのかもしれません。

 

『言霊』

 

そんな言葉もありますが、これの力というのは絶大ですね。

 

「わ、わたし、病気かもしれない・・・」

「おれ、もうだめだ・・・」

「糞だわ人生・・・・」

 

なんてずっと言い続けてると、本当におかしくなってしまうのが人間。

 

『自己暗示』なんて言ったりすることもありそうですが、悪い方向へ働かせた場合、言葉とは生命を脅かすぐらい危険なものにもなるから恐ろしい。

 

と言うことは逆に、その恐るべき力を利用しない手はないってことでもありますね。

 

このブログで長く触れている縦振動のタッチにしても、それを具体的に実現するにはどうするか、どんな言語化をした弾き方をすべきなのか、自分なりにずっと考えています。

 

「指弾き」

「スラップ」

「ピック弾き」

「タッピング」

 

ベースの弾き方をこうやってまとめてしまうと、とても淡泊で寂しい。

 

それと同様、「魂だ!」の一言で済まそうとしたり、「理屈はいらねぇ!」なんて理屈を振りかざしたり押しつけたり、そういうのもどうなのかとなるのも確か。

 

これは話としても言葉としても、面白くもなんともない答えなんじゃないかと。

その一言に重みを持たせ納得もさせることができるのは、よほど特別な人だけでしょう。

 

現実逃避のために言葉を駆使してしまうというのも大問題。

具体性から逃げてしまう言葉も沢山存在するから厄介。

 

野生児のような人かと思っていたら実は全然違うなんてパターンもあるから、世の中、人間とは分かりません。

 

当然のようにスケールの解説をしたり、機材の説明もできたり、グルーブについても真面目に具体的に考えていたり、意外とそんなもの。

 

・言葉や理解が演奏をより良く深いものにしてくれる

・本番で考えない為、無になって楽しむ為、とことん悩み思考する

・楽な近道を求めるからこそ言葉を頼る

 

こんな考え方や認識があってもいいんじゃないかと。

 

人間ならではの強力極まりないこの武器。

不幸になるためではなく、楽しく豊かになるよう使った方が幸せになれますね。

 

楽しい世界です。

 

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