エレクトリックベース、道具を使うからには不自然上等 人間だけでは不可能な事がやりたい

音楽の純粋さへの疑問とベースという楽器

 

これこそが音楽だ!

 

みたいな感じのノリが嫌いなわたくし。

大体の場合、そこにエレクトリックベースの存在は必要なかったりする印象。

 

要するに「歌だけでとか「アコギ一本だけで十分」みたいなやつですね。

打楽器を求めるにしても、手拍子かそのへんの適当なものでOKってなやつ。

 

ベースしか弾けない人間としては、なんだかモヤるものがあります。

 

自然発生的な音と衝動、そこにゆだねたものを真の音楽と言うのであれば、エレクトリックベースの存在は非常にいびつで不自然。

 

「不要!」と断言できる部分まであるかもしれません。

 

分かりやすいメロディなど弾かず、ただシンプルにルートを鳴らすだけで気持ち良いという、その意味不明さ、理解されないであろう快感と感覚。

 

電気的に増幅された異常な低音、バッキバキのアタックや高音なども含め、そのわけの分からんものが大好きな人種がいるという面白さと素晴らしさ。

 

アコースティック=純粋、音楽はそれがあればもういいみたいな感動とその主張、方向性には抵抗を覚える次第。

 

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純粋を至上とするのは抵抗がある

 

タッチコントロールに目覚め、その表現力の世界に魅せられている自分。

このブログでその研究についても数多く語っています。

 

一方、

 

「ブーストは邪道!」

「自分の手だけで!」

「フラットが一番!」

 

みたいになってしまうのも、ちょっと違うかなとは思ってます。

 

ベース本体でブーストしまくり、そのギリギリをコントロール。

時にはエフェクターも駆使し、楽器単体では出来ないことを実現する。

 

そういう難しさや楽しさも存在するのがエレクトリックベース。

 

何もしない方が結果的に良い音になったり、加工前の時点で基本が成立していなければ、後でどうにもならなくなるというのも確か。

 

ただ、あまりに素の音を持ち上げたり、そこだけを追求、至上として型にはまってしまうのは何か違う。

 

「何も通さない純粋な状態こそが真の音!」なんてことを言い出してしまうと、エレクトリックベースの存在そのものに矛盾が起きるような気がするかなと。

 

そもそもがいびつで不自然な存在、人間だけでは出せない音を出し、アンプもない楽器単体では実現できないことをやるという、それが基本であり醍醐味なわけです。

 

そこでアコースティック楽器の真似事、純粋さを気取るのも何か違和感がある。

 

「ズドーン!って来る音を出してぇ!」

 

「よっしゃ!ドカンとブーストしようぜ!」

 

実用性はともかく、こういう頭の悪さも捨てがたい。

そこには自然界では得がたい快楽と幸福感が存在する。

 

パッシブベースを鳴らせるから何でも弾けるとは限らない

 

ハイもローも何もブーストしていない状態、ベース本体とタッチだけで音を完成させられるのに越したことはありません。

 

それがまったく実践できずに懲りた結果、意を決してタッチの向上を決意しました。

繰り返すようですが、それもこのブログでよく話しています。

 

ここで問題なのは、パッシブベースを満足に鳴らせるようになったからと言って、ブースト上等の強烈なセッティングをコントロールできるとは限らないということ。

 

ほんの軽く弾いただけでも、「ズギャアァァ!」って音が出てしまうような状態、起伏の激しいダイナミックなサウンドを操れるかは、ちょっと違うはず。

 

とんでもないレベルのタッチコントロール、ピアニッシモでも物凄い低い音、アタックのあるサウンドを出せる人物を知っているだけに、ただパッシブを弾いてるだけで偉いなんてことはまったくないと考えます。

 

電気的な増幅もあっての技巧と表現、スーパーライトなタッチ、パーカシッブでド派手なサウンドとプレイなど、パッシブ至上というだけでは実現できない世界がある。

 

それこそ、ジェームス・ジェマーソンなどに関しても恐らく、そういった面があったんじゃないかと想像。

 

ローをフルブーストしてたなんて話もありますし、コンプもかけたり時には歪ませたり、色々やっていたであろう事実。

 

それもあっての1フィンガー奏法とグルーブだったとすると、表面的なことにこだわってもあまり意味がないように思えてくるところ。

 

「道具頼りの人ではない!」とか、そんなのは言うまでもありません。

なんの工夫もなく馬鹿正直に音を出していたかとなると、それは絶対に違うだろうという話。

 

「甘え」だの「邪道」だの、過剰に視野が狭くなるのは考えもの。

ましてや、肝心の理想も結果も遠くなってしまうようでは本末転倒。

 

パッシブが好きだとこだわるにしても、

 

「好みでも結果でもパッシブがベストだった」

 

こうあるべきかなと。

 

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せっかく道具を使うならそれを操る遊びと表現を

 

極論、身一つの純粋さを追い求めるのであれば、人の世のほとんどを捨てる必要があるんじゃないかと思うんですよね。

 

野球も駄目、サッカーも駄目、車なんか有り得ない、飛行機なんかもってのほか、CDも駄目、ネットも駄目、そもそも楽器も不自然な存在で必要ないなど、無茶苦茶な話になってきます。

 

馬鹿げた屁理屈をこねてるようだけど、真理でもあるはず。

 

「動物としてでは実現できない事がある」

 

「だから道具を使う!不可能を可能にする!」

 

この意味でエレクトリックベースはまさに人類的。

自然では不可能なことを実現するための道具、挑戦的存在と言えるんじゃないかと。

 

「シンプルなルート弾きこそ人類の神髄!」

 

なんて見ることもできるかもしれません。

あんなのがめちゃくちゃ気持ち良くなってしまうのもベースならでは。

 

何もブーストしないナチュラルなパッシブが好きなのも分かるけど、それだけじゃ実現できない自由度があるのもベースの面白さ。

 

吐くような低音にまみれてみるのも一つの楽しみ方。

 

フレットレス=ナチュラル、メロディックに弾くのが基本みたいなのも抵抗があるし、何でも好きにしたらいいじゃねぇかって話ですね。

 

フレットレスでもEQブーストしまくり、スラップでバキバキなんてのも面白いですよ。

やる意味がないとか、らしくないとか知ったこっちゃありません。

 

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自分のやりたいことのためにその道具が必要なんだったら、遠慮なく使うべき。

動物から進化してこその人間、道具を使うからこその音楽も存在する。

 

人類が生きるに特に必要ないであろうエレクトリックベース。

その不要な存在に数多く侵略されてしまっている愉快さと素晴らしさ。

 

やっぱりベースって楽器が大好きです。

 

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