空気は読めてもタッチは認めない? 気の察知は常識?物理はオカルト?

空気を読む

 

ほぼ誰でも理解しているであろうこの認識。

 

たとえばの話、彼女と別れてクソ落ち込んでるやつがいる重い場で、

 

「うえ~いww」

「ひっさびさぁww」

「元気してる~?ww」

「彼女とはどうよww」

 

なんてやつが表れたら間違いなく、

 

「空気読め」

 

こうなることでしょう。

 

この例えが的確かどうかはともかく、場の空気を察する、人の心理を把握しようとするいう、それは誰でもやっていることなんじゃないかと。

 

『空』を抜いて、

 

「気を読む」

 

こう言うと、凄い達人の領域の話みたいに感じたり、まったく理解のできない世界のようにも思えるかもしれません。

 

一方、実はみんな当たり前のようにやっていたり、認識していることが前提、何らかの察知能力は身に付けてもいるはず。

 

表情から判断するという目からの情報だけではなく、耳からの情報だけでも心理が分かったりするのだから人間は凄い。

 

五感に限った話だけではなく、直感、危険を察知する能力というものもありますし、動物としての能力、生きるために必要な力として備わっている気を感じること。

 

解明できないからと言って100%否定する人がいたとしたら、その方が余程おかしく見えるのではないかと考えます。

 

タッチコントロールの否定 オカルト・宗教視の謎

 

『気を読む』という非常に高度な認識と能力。

 

それに比べたら、タッチやインピーダンスによって音が変化する現象なんてどれだけ簡単で分かりやすい話か、具体的にしやすい問題だろうかと脱力してしまうものまであります。

 

ところが、これを認めない人、オカルトだの宗教だのまで言う人がいるから不思議。

明らかに音が変わっている、物理現象の結果としての変化が生まれているにもかかわらず、

 

「胡散くさい」

 

こういう認識で済まそうという謎。

 

いや、これって面白いですよね。

 

「気の察知」とでも呼ぶべき、言語として超難解な認識を当然としているであろう一方、音の変化の認識や事実は断固として認めない、否定に回って腐そうともするからおかしな話。

 

その強烈な先入観、頑ななまでの心理に至る様を見ると、むしろそちらの方が余程にオカルト的、悪い意味での宗教的価値観を持っているように思えてなりません。

 

「空気を読め!」

「当たり前だろ!」

 

「常識だ!」

 

「縦振動のタッチ?」

「インピーダンス?」

 

「オカルト!!」

 

ちょっと笑ってしまいます。

 

言葉の絶対視や物理云々は割とどうでもいい

 

ず~っとこのブログであれこれ話してきて何ですが、科学的な研究設備があるわけでもなし、教養なんかも無に等しい身であるわたくし。

 

これを言うのもどうかって話だけど、実のところ、そんな超絶シリアスにベースという楽器の謎を解明しようとか、具体的に詳細に解き明かそうなんて考えてはいなかったりします。

 

「分からんもんは分からん!」

 

意外とこんなノリ。

 

と言うか、分からないから研究する、上手くなりたいから練習するわけで、過程をすっ飛ばして都合良く結果を得ようとすることには疑問を抱きます。

 

的外れに一点だけを見ようとしたり、問答無用で曲解に走ったり、そんなの何の得にもならないですよね。

 

「唯一絶対の方法でなければ認めない!」って感じの人もいるみたいですが、ま~、そんな疲れる生き方は自分にはできそうにありません。

 

「アポヤンド=縦振動のタッチ」なんて解釈をしたり、「横に弾くアポヤンドだってあるだろう!」とか意味不明に怒ってる人なんかもいたり、そういう風に変に捉えようとする意味って何なんでしょうね?

 

「縦振動?物理的に有り得ない!」とか言って実際にはまったく知らない、音を聴いたこともなければ試したこともないとか論外。

 

このブログの基本コンセプト。

 

「1mm進めりゃいい」

 

読んだその日、何か試してみてベースを楽しめりゃいい。

一歩でも進めたら何より、後のヒントになれば万々歳。

ちょっとでも人生が面白くなるんだったら最高。

 

お堅く宗教だなんだの言って構えてちゃ物事は面白くなりません。

嫌われたくなくて必死に空気読もうとするのも考えもの。

誰かの何かの否定ばかりをしてても不幸になっていくだけ。

 

老害様になるよりは遊び人でいたいですね。

 

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