ベースの魅力を語る 始めた理由・動機 継続と上達について考える

ベースを始めた動機 その魅力 継続と上達

 

ベースの魅力って何?

 

「低音?グルーブ?」

「弦の響き?唸り?」

「バンドの中での気持ちよさ?」

「独特のポジションの心地よさ?」

 

経験者として色々難しいことは言えそうです。

でもこれは後付けのような気もします。

 

初心者だった頃の自分が面白さを感じたのはきっと、

 

『未知との遭遇』

 

これだと思うんですよね。

 

最初はギターとの区別すらついてなかった自分。

マジでな~んも知りませんでした。

とにかくわっかんねー、知らねーんですよこの楽器。

 

初心者と言うか、今でもそうですね。

未知の部分が多いからこそ、楽しいし飽きない。

ゆえに継続できる、やめなきゃず~っと遊べます。

 

ベースの魅力が何かと問われたら、

 

『認識する楽しさ』

『未知への好奇心』

『終わりがない』

 

こういう得体の知れなさが確実にあります。

 

まずは認識しないことには始まらないというハードルの高さ。

しょぼいオーディオだとスッカスカで物足りない。

そもそも聴こえない可能性もある難儀な楽器です。

 

しかし一度認識できるようになると一気に世界が変わります。

実は当たり前に存在していた音、体感していた存在なのだと分かります。

今まで気付かなかった分だけ半端じゃない情報量が入ってきます。

 

そうなるともう、どこまでだって行けますよ。

オーディオマニアやるにしても、実際に弾くにしても、厄介極まりないのがベース。

 

指一本でだって弾けるほどに簡単なことも珍しくないのに、その指一本の世界に引きずりこまれる魅力があるのがベースの凄いところ。

 

『未知の認識と開拓』

 

この快感を知るとやめられなくなります。

 

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ベースを始めるきっかけ

 

これ、すんげ~単純な理由です。

 

兄貴がバンドやってた。

 

音楽的な深みも哲学もクソもありません。

 

「楽器かっけぇ!」 

「バンドかっけぇ!」

 

こんな理由。

 

そのおさがりをもらえたからこそ、始めることができました。

自分で買ってたかは意外と微妙だったりして?

 

後、中学時代に見た先輩の文化祭ライブが格好良かったのも大きかったですね。

 

でっかい音出してステージに立って楽器を弾く、バンドをやってるという、そりゃ問答無用に憧れるってもんです。

 

そうなると当然、

 

「俺も始めるぜ!」

 

ってなりますよね。

 

しかしまぁ、実を言うならば、ベースがどんな楽器かなんて知りませんでした。

ギターとの区別もろくに付いてないという酷い話。

 

にもかかわらず、

 

「どいつもこいつも同じだ!」

 

ギターばっかじゃつまんねぇ!」

 

こんなしょーもない理由でベースを選んだのだから笑ってしまいます。

白状すると、兄貴が弾いてるのがベースかギターかもよく知らなかったというね。

 

ベースのことな~んも知らないのに、「ギターなんか絶対弾かねぇ!」とか考えていたという、そのクソガキっぷりが素晴らしい。

 

「モテたい!」なんて理由だったらどんなに健全だったことか。

いやほんと、意味不明な衝動に駆られていた気がします。

 

なぜ継続できたか?上達したか?

 

これも冒頭の話と同じ。

 

『未知の認識と開拓』

 

これなんだろうなと。

 

要するに、

 

『飽きない!』

 

ってことですね。

 

やりたくなることばっかりだから常に新鮮、常に迷いっぱなし。

それゆえ、自分の上達と成長も実感できるという、そういう楽しみと面白さがある。

 

たとえばの話、

 

「もう肉飽きたわ」

 

とは誰でもなるものかもしれません。

 

そこで、

 

「もっと美味い肉を!もっと美味い料理を!もっと美味い組み合わせを!もっともっと肉食いてぇ!肉知りてぇ!」

 

となれば、毎日飽きずに食べられる可能性があるわけです。

 

ただ単に『肉』ってもの一つだけで考えたら、そりゃ飽きちゃいます。

でも、その扱い方を研究したり試行錯誤していけば、状況はまったく違うものになる。

 

そこで極端な方向に振れて、

 

「もう肉やめる・・」

 

ってなっちゃうのは違うと言うか変。

 

それはそれで面白いことにもなりそうだけど、その飽きた肉、やめた肉が何の肉なのか分からない、豚か牛か鶏かの区別も付いていない、羊なんか知りもしないみたいなんじゃ寂しい話。

 

そもそも素材的に酷いのを食べちゃって嫌いになってしまう、それで無関心になってしまうなんてのも悲しいですよね。

 

動機なんて案外シンプルなもの。

 

「美味いもん食って感動した!」

 

「もっと美味いもん食いたくなった!」

 

「美味いもん自分でつくってみたくなった!」

 

これがある限り、やめる意味も必要性も感じないでしょう。

 

『美味いもん』

 

これを知っていること、知ろうとすることが大切。

 

他人任せでまずいもんばっか食ってちゃ、そりゃ嫌になって当然。

何も楽しくないし、ケチつけてるだけで一生終わってしまう可能性だってあります。

 

『好きは語れず嫌いは饒舌』

 

これじゃよろしくない。

 

きっかけが別に高級料理である必要もありません。

実際、自分の中では兄貴とか先輩の存在がベースを弾くための入口でした。

 

「近所の素朴な定食屋、中華料理屋が好きだった」

 

こういうのだって動機としては立派なもの。

自分が美味しい、好きだと思えばそれでよし!

 

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綺麗も汚いも何でもあり 人類はもうベースに侵略されている

 

「バンドの為!」

「音楽の為!」

「エゴは捨てる!」

 

なんてよく聞きますし、そのために全力を尽くすスタイルのベース弾きさんもいることだろうと思います。

 

ただ、わたくし個人の中にあるものを言うならば、それはちょっと綺麗すぎて息苦しくもある。

誤解を承知で言うなら、楽しむ理由をあまり人に依存してしまうのも抵抗があるかなと。

 

幼少期からちょっと苦手なノリなのが、

 

『共に分かち合う喜び』

 

こういう雰囲気とか主張、目的。

 

もっと独善的、利己的、エゴ丸出し、そういう部分を突き詰めていくってのも、めっちゃ楽しいことだと言いたいところ。

 

ベースを弾く人間の素養としては失格かもしれません。

コミュ障、社会不適合者のクズ、わがままなお子ちゃまってのも至極真っ当な意見。

 

でもほんと、ドス黒い何かを抱えている人間に合っている面も沢山あるのが、ベースって楽器の魅力だと感じるんですよね。

 

どの楽器にだってそれは言えるんだろうけど、前述の通り、ベースってのは未知の部分が多い存在です。

 

マジでわけの分からない方向に進化していったりするから、おかしくってしゃーない。

 

好きじゃないベースプレイがあるのはもちろん、超多弦などへの疑問、違和感もありますが、その迷走っぷりや手探り感自体は嫌いじゃなかったりします。

 

「得体が知れない」

 

い~いですよねこの言葉。

その正体不明感、異物感が素晴らしい。

 

ベースのことなんか全然知らなかったけど、実はもう、人類はそいつに侵略されていたわけです。

 

後はそれに気付くか気付かないか、遊ぶか放置するかどっちかという話。

 

ベースについて知りたいんだったらまずは認識すること。

その認識を強化して好奇心に従い欲望に任せること。

そうした先にめっちゃめちゃ面白い世界が待っています。

 

20年以上弾いてたって分からないことだらけ、知らないことだらけで笑いますね。

 

ベースの魅力を知りたければどうしたらいいか?

 

ベースの事を知りましょう。

 

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