絶対正解の奏法って何? 完全・完璧な弾き方について考える

完璧で絶対な奏法について考える

 

そんなもんねーだろ

 

ってのが正直なところ。

 

真面目な話と下らない話含め、このブログで色々と触れてきてはいます。

しかし、絶対の正解や全能・究極の奏法なんてのは知りません。

と言うか、知ろうとする気もありません。

 

もしもですね。

 

「絶対に間違いのない正しい奏法について教えてください!」

 

なんて言われたとしても、

 

「さぁ?何かあるのかね?」

「好きに弾けばいいんじゃね?」

 

こう答えるしかないかなと。

 

力任せじゃない弾き方、軽いタッチでも音を太くする方法、立ち上がりが良くなる弾き方、指を速く動かす方法、4本の指を使う弾き方、1本指だけで弾く方法など、そういうことについては話せます。

 

ってか、ここでずっと話してきています。

実験動画を上げたりすることもあります。

 

ただ、なんかよく分からない期待を込めた正解、しかも圧倒的で絶対的な方法が知りたいなんて要求に答えることはできません。

 

「これ一つで全て解決!」

 

そんな弾き方がどこにあんねんと。

 

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疑う人ほど実は何かを信じたい?

 

実際に前述のようなことを聞いてくる人がいるとは思えません。

ただ、そう考えている節がありそうな人は存在するのかなと感じることはあります。

 

他力本願な人というのはもう言うまでもないでしょう。

 

それよりも自分が気になるのは、

 

「宗教」

「オカルト」

「〇〇信者」

 

こういう言葉が好きな人ですかね?

 

とにかくまずは否定から入る、疑いしか持たない、自分に都合良いように事実を歪めて見ようとするという、そういう傾向がありそうな人。

 

実はこういう思考の方が逆に何かに期待しすぎな気がしたり。

それか、とにかく視野狭く身構えているか、

 

『絶対の正解』

 

誰よりも強くこれを求めているのかって気もするところ。

 

少しでも疑いがあるならそこに価値など感じない、完璧ではないならこの世にあることを認めないという、非常に厳しい哲学を持って生きているのかなって。

 

信じるものもなく不安しかないから、100%の答えが出てないと受け入れることができないのかと想像。

 

・情報の得も損も判断できない

・理解できず怖いからとりあえず拒絶する

・まず否定する癖や習慣が身に付いてしまっている

 

これは確かに、失敗は少ないかもしれません。

でも、決して高尚で賢いとは言えないでしょう。

 

そこを勘違いすると悲惨ではないかと。

 

絶対的な正解かつ楽な方法が欲しい?

 

完璧や絶対を求めるという、その気持ちは確かに分かるところでもあるし、それを追い求めるのも理解できる話です。

 

より高度に弾きたい、失敗をなくしたい、効率良く弾けるようにしたいという、そういう希望があるのも当然と言えます。

 

一方、超絶都合が良くて楽なものを求めたい、それをインスタントに実現できる術が欲しいってのは、さすがに認識があれなんじゃないかと言わざるを得ないかなと。

 

それを自分で追求してるならまだしも、誰かが答えを出してくれるのを期待しているとしたら、まぁ正直、何やってもあんま楽しくはなさそうですよね。

 

・絶対の正解がないと不安で仕方ない

・答えが分かってないと安心して取り組むことができない

・ひたすら疑念が先行して効果を実感するどころではない

 

これって逆に辛く見えますが、どうなんでしょうね?

 

オカルトとか宗教とかすぐそういう言葉を使いたがる人。

その割には物凄い近道や抜け道があることに期待してそうな人。

それが人間の思考、思想の何を表しているのか、ずっと気になっています。

 

・実は誰よりも正解に飢えているのか?

・本当は超常的な何かが存在すると信じたがっているのか?

・誰でも即座に習得できる素晴らしい答えがあると本気で思っているのか?

 

いや、本当に不思議になってしまうんですよ。

 

むしろ現実離れしすぎていたり、求めているものがあまりに人外的、理想や空論にすらならない領域の何か求めているのではないかと疑問が湧きます。

 

それをしかも他人がつくった方法論に求めるとか、短時間で理解・習得できないから邪教扱いしたりするなど、どう考えてもまともではないと感じる次第。

 

自らを棚に上げ他者を否定、とりあえず見下そうという前提でそんな言葉を使うのであれば、それはただの論外。

 

「歪んでる」と言うと格好良くなっちゃうので、「つまんない」と言っておきます。

 

結局あるの?絶対正解の弾き方って?

 

唯一存在するとしたら、

 

『望むままを行え』

 

これですかね?

ベルセルクの使徒みたいな話。

 

まぁ、これが何より失敗する可能性が高いものだとも思いますが、自分が本当にそうやりたかった、こういう弾き方をしたかったって確信があるんだったら、もうそれ以上のものはないでしょう。

 

そういうこっちゃなく、「唯一絶対の方法を具体的に知りたい!」って話だったらそれはもう、自分が手に負える領域ではないから答えようがない。

 

たとえば、縦振動のタッチの習得と研究。

それによって得られるものというのは本当に数えきれないぐらい存在します。

それで自分のベース人生が大きく変わったとは実感しています。

 

一方、それが絶対の真実だとは考えていません。

そうやって認識しようと思ったこともありません。

 

好みの話で言うのであれば、絶対的に好きな方法ですけどね。

実に理に適っており、そこから多くのものを得られます。

それこそ、『望むまま』を行いやすくなるからこそ、取り組んでいるとも言えますね。

 

ま、どうやっても疑う人には何を言っても無駄だと思いますし、それも一つの偏見だってのも間違いありませんが、いずれにせよ、すぐに宗教だオカルトだって言葉を使おうする姿勢なんかには疑問を抱くところ。

 

「宗教!オカルト!胡散臭い!」なんて言ってる方がよっぽど超常的な結論に期待しているとか、一発逆転できる大正解を求めているとか、そういうのって本当にどうかと思います。

 

地道に1を積み重ねるのが一番ですね。

その1も好きなもの、それを楽しんで積んでいければ、それが何よりかなと。

時間はかかっても何らかの形になるし、答えも見えてくるはず。

積んでいくほど、自分にとって都合の良いものになります。

 

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唯一絶対にして変わることのない真理

 

この世界に存在する絶対の掟。

 

命は尽きる

 

これだけは変えようがありません。

 

だったらですね。

疑ってばかりより、楽しく遊んだ方が良い。

積み重ねた分だけの得をすべき。

 

縦振動のタッチを身に付けるとベースがもっと面白くなります。

やってて楽しいからこそ取り組むわけですね。

 

信じる信じないもクソもなく現実として音が変わります。

 

疑って否定する方がよほどに狂信的・盲目的な姿勢と言えるでしょう。

 

縦振動に限らず、タッチで音は変わります。

完全・完璧でなくとも、それは絶対。

 

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