言語化の拒否が拒絶と恐怖を生むのか 思考停止は楽だからそれに安心するのか

知らない言葉は難しく感じる

 

まず、奏法に関する言葉を適当に10個並べてみます。

 

・ハンマリングオン

・プリングオフ

・チョーキングorベンド

・スラップorチョッパー

・アポヤンドorアルアイレ

・タッピング

・カッティング

・スウィープピッキング

・スライド&グリス

・アーティフィシャルハーモニクス

 

とりあえずこんなもんで。

何も知らない人、初心者にとってはなんのこっちゃ分からないですよねこれ。

 

初心者どころか、実際にバリバリ弾いている人でも知らない言葉があるかもしれないのがこの世界。

これはほんと、理論なんかもまさにそうでしょう

 

チャーチモードだのアイオニアン~ロクリアンだの、自分も最初はマジで意味が分かりませんでした。

ドミナントモーション、セカンダリードミナント、エクステンデッドドミナント、「え?聖闘士星矢の技?」って言いたくなってしまいます。

 

勉強してみれば意味も分かりますし、割と初歩的なことなので、そこまで大袈裟に扱う必要もないとは思いますが、しかしま~、取っ付き悪いのは間違いありませんよね。

 

違和感、恐怖を覚えても不思議ではない可能性がありそうです。

 

知らない事を拒絶するのは楽

 

知らない言葉や世界に抵抗を感じるのが当たり前である一方、それを知らないままで済ますか、勉強してでも覚えてみようと行動するか、これって実はかなり重要な分岐点なんじゃないかと感じます。

 

ジラウドや縦振動のタッチについて宗教だのオカルト言っちゃう人、今でもいるのかな?

あれは本当、個人的にちょっと興味深い対象でもありますね。

未知を恐れるが故なのか、自分の知らない言語に違和感と拒否感を覚えてのことなのか、そのあたりが気になってしまう。

 

『インピーダンス』という言葉まで超常現象のように感じるというのはさすがにどうかって気がしますが、でもまぁ、それぐらいの知識と認識ではそういう考え方、捉え方になってしまうんだろうなと。

 

音にも弾き方にも関心がなければ、タッチで音が変わるということが信じられないのだと想像しますし、そのまま止まってしまうのも無理はありません。

 

やっぱり、考えないのって楽ですからね。

レッテル貼りのようなことをやっていれば自分の優位性も保てますし、それに満足もできる。

 

分からないこと、知らないこと、遠いこと、

 

「宗教!」

「オカルト!」

「理屈じゃない!」

 

こうまとめてしまえば本当にお気楽でお手軽。

 

実際、超越的なプレイとサウンドの持ち主であれば誰も文句言えません。

それが正しい姿、あるべき姿であるとも思います。

 

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言語化できれば対策も行動もできる

 

超越的才能の持ち主、誰も文句の言えない実力者でもない限り、言語は絶対に便利に使えるし、役立つ力になってくれると自分は強く実感しています。

 

「できない・・・」と悩むことに対し、

 

「何が原因なのか?」

「何が必要なのか?」

「何をすべきなのか?」

 

こう加えて思考するだけでも絶対に違ってくるはず。

 

それが分からぬまま、がむしゃらに取り組むのもいいですが、確実に遠回り、しかも茨の道ですよね。

 

その道を行くのが楽しい、この上ない喜びでもあるということなら、何も否定する理由はありません。

一方、ただ苦労することが美しい、時間を費やすことが正しいなんて考えるのはどうなのかなと。

 

緊張や不安、恐怖というものに立ち向かうにしても、それを成すものが何なのかまったく分からないのと具体的に認識して対策できているのでは、できることもやれることも恐らく別のものになってくるでしょう。

 

「力不足だった・・・」と落ち込むにしてもただ失望・後悔して終わるのと、その原因がなんなのかどんな対策をすべきなのかを掴むのとでは、後の結果は絶対に違ってくる。

 

・スタミナ不足、力の配分ミス

・楽器を見直すべき、音作りを詰めるべき

・冷静になるべき、経験をたくわえるべき

・まずどうするべきだろうか?

・現実的に何から取り組んでみるか?

 

こう前向きに変換したり分析できると強いですよね。

最初は曖昧でも具体的に仕上げていければ力になる。

 

ライブにしても練習にしても録音にしても何にしても、考えるべきこと、取り組むべきことは見つけられるもの。

だからこそ、自分に必要なものを言語としてハッキリ認識しておくことには大きな意味があると考える次第。

 

無知と言語化の拒否が思考の停止と恐怖を生む

 

ただ単に「不安だ・・」と言って終わりにしてしまうと、正体も何も分からない恐怖、拒絶すべき敵、憎むべき存在だと認識することにもなりかねません。

 

大袈裟なようですが、敵意のある言葉をすぐに使いたがる、狭い世界と一つの価値観しか認めない、未知に対する拒絶感が強いというのはそういうことなのではないかと。

 

「怖い」

「分からない」

「考えたくない」

 

前述同様、これは楽で安心もできます。

 

でもそこで終わってしまい、なんの会話にも議論にもならないというのも、ちょっと寂しい話ですよね。

上手く利用すれば、もっと上手くなれるかもしれない、後のヒントにできる可能性もあるところ、上記の言語を直結して結論付けてしまうと、もうそれで終了です。

 

宗教だのオカルトだの、すぐにそういう言葉に逃げるのもそうでしょう。

性別、国籍、肌の色、それで全てを決めつけるという、それと同じようなこと。

理解できない、認められない、だから恐れて拒絶する。

 

何を恐れているかを具体化するのも言語化するのも面倒。

偏見に逃げた方が楽だから安易な一言で終わらせる。

そういうものなのかと想像します。

 

分からないから考える、調べる、知る。

同じ「分からない」にしても、何もしないのとそうでないのとで随分違うものになる。

 

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言うは易し 行うは難し

 

現実はま~、なかなかそんな聖人・超人みたいな存在にはなれないんですけどね。

 

なんでも合わせちゃう認めちゃう、それが正しいとも格好いいとも思わないし、興味ないことには無関心でも一向に構わないと思うのも本音。

誰とでも手を取ろうとすること、干渉しようとすることが美しいとか、そんなことあるわけねーだろとも言いたくなります。

 

一方、有益な情報、面白そうな情報、何か新しいことが起きようとしている状況など、それに露骨に嫌悪と拒否感を示すというのはやっぱり、あまり良くないのではないかと考えるところ。

 

オタク的な部分から言うならば、アニメとかゲームとか本当にそう思いますね。

 

「昔は良かった」

「初代しか認めねぇ」

「今は中身がない」

 

こういうのをしたり顔で言うオッサン、ジジイにはなりたくないわけですよ。

 

具体的にどこがどう悪いのか、自分の好みや価値観を明確に伝えられるならばまだしも、ろくに知りもしない、考えもしない、ただの先入観や拒否感からそれを語るのであれば、それはあまりに愚かな行為であるとしか言いようがない。

 

自分の価値観と世界を大事にするのはもちろん良いことですが、それが変にこじれて敵意を持ったり、異常なまでに拒絶するのは考えもの。

 

それを防ぐためと言うのもおかしな話ですが、自分の中にある感情や思考を細かく分析できる言語化能力を持っていると、人間ってのはだいぶ柔らかく楽しい生き物になることができるようになるんじゃないかと。

 

まぁ、それを利用して他者を攻撃したり、悪いことに全力で傾ける人ってのもいそうですが、そんな負の面ばかり見たり考えたりしてたら当然、物事はつまらなくなるし役にも立たなくなります。

 

そういう不要なものを即座に切り捨てられるようになる意味でも、言語能力と分析能力を鍛えておくと非常に便利で助かる印象。

 

非常~に回りくどく、ウザいことを言っているようですが、これって思考の高速化、行動の高速化に繋がるはずなんですよね。

よく分からない不安とか懐疑心に染まってる人って、知らないことだらけ、言語にできないことだらけ、分からないことを分からないままにしてるからそうなってしまうのかと想像。

 

ま~ったく宗教でも何でもないものをカルトオカルトとか言いだしちゃうって、普通に考えてかなり異常ですよね。

むしろそっちの方が危険であり、余程に攻撃性も強い姿勢だと言えます。

 

一方、必要な分析を高速にできるようになっていれば、自分にとって得か無駄か敵か、それを判断するのも的確に早くなる。

いちいちあーだこーだと考えたり疑ったり、そういう必要がない。

それと同等、遥か上の情報を処理しているのだから、正解も見つけやすい。

ゆえに人を信じやすくなるし、同時に騙されなくもなってくる。

 

さて、だんだん疲れてわけが分からなくなってきた為、とりあえずこのへんでやめにしますが、宗教とかオカルトとかそういう言葉を使うのが好きな場合、そう感じる理由を具体的に詳細に分析、言語化してみることをおすすめします。

 

ただの勉強不足、認識不足、理解不足だった場合、非常に危険な思考と不快のかたまりになっている恐れがあります。

 

対策としてはブログをやってみることを推奨します。

自分の思考や価値観を理解する、曖昧な部分を言語にしてクリアーにする、なかなか面白い作業ですよ。

 

今の自分みたく、「何でこんなの書いてんだろう・・」と虚無感に浸るのもナイス。