縦振動のタッチの研究 (35) もう出来てるから必要ない? 基礎のマスターという違和感 

基礎はマスターした?

 

「縦振動なんて昔からやってた」

「自然にできちゃってる」

 

みたいな話を目にする・耳にする度に自分としては違和感を覚えるところ。

 

と言うのも、

 

「基礎なんて昔からやってた」

「基礎なんてもうできてる」

「基礎を改めてやる必要なんかない」

 

なんて主張されてもよく意味が分からないからですね。

 

基礎的なものというのはそれこそ一生をかけて高めていく、終わりというところが存在しないものではないかと認識しているのですが、意外とそうは思われないのかなと分からなくなることがあります。

 

果たしてその完成とは何を意味するのかと疑問が湧く次第。

 

特殊でなくとも浅くはない

 

「縦振動のタッチは特殊な奏法ではない」

 

とはこのブログで繰り返し言ってきたことであり、今でもその認識は変わりません。

あくまでも表現方法のひとつであって、それが活かしづらい場面というのもあるでしょう。

縦振動こそが絶対の存在であるとはまったく考えていない次第。

 

ただ、あまりに安易に考えられることに抵抗があるのも本音。

 

角度をちょっと意識しただけとか、弾き方がそれっぽいだけというだけで「縦振動のタッチは特別でもないし難しくもない」と満足してしまうのはどうなのかと正直思います。

 

これも前述の「基礎のマスター」に対する違和感と同じかもしれませんね。

 

やればやるほど先が見えなくなる、近付けば近付くほど遠くなる、そんなことを言われれば個人的には凄く同意してしまうところなんですが、いとも簡単に「特別でもなんでもない」と悟りを開かれるのはなんか違うよなと。

 

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深めるからこそ特別になる

 

シンプルなフレーズでも感動させられる人、ただの8ビートの刻みなのに超かっこいい人、何気なくても圧倒的な存在感を出せる人など、世の中にはそういう理屈を超えて魅力的なプレイヤーが存在していますよね。

 

それというのはやはり、一朝一夕でどうにかなるものではない。

天性にせよ積み重ねにせよ、その人そのものから生まれる力というのは真に偉大。

言ってしまえば、一生かかっても他人には真似できないものなのでしょう。

 

だからこそ思うわけです。

己を高めるのであればそこに終わりなどない。

たとえ基礎の完成があるのだとしてもそれが始まりかもしれない。

ひたすら高めた先にはまた先があるのだろうと。

 

もちろん、そこまで辿り着けない可能性も高いし、傍から見れば大した意味もなくどうでもいい問題で終わることも十分に考えられます。

 

しかし、それが自分にとって1の糧にすらならないなんてことは絶対にないはず。

もしかしたら、それがやがて真の意味での『特別』にもなるかもしれません。

綺麗・完璧であることが正解になるとは限らない世界ですしね。

 

縦振動のタッチの研究、タッチコントロールの追求、是非おすすめします。

「俺だけのサウンドを出したい!」という想いが強いのであれば尚更ですね。

 

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