楽器の才能の正体を探る 上達のコツ、練習せず上手くなる方法を考える

楽器と才能・鍛錬 目次

 

 

自転車みたいなもの

 

乗りこなすまでが大変だけど、一度覚えてしまえば一生忘れないあの感覚。

ああなってしまうと逆に、初期状態に戻そうって方が困難ですよね。

 

これ、実は楽器も同じなんじゃないかと思います。

弾ける体をつくるまでが大変だけど、一度身に付けば弾けない体に戻すことも大変になる。

 

しばらく弾いてなくて「指が動かくなったなぁ・・」となることはあるかもしれません。

 

でも、

 

「あれ?どうやったらベースって音出るの?」

「弦ってどうやって押さえたらいいの?」

「右手で弦をはじくの?それでいいの?」

 

なんてなることはほぼ有り得ないでしょう。

 

特異なことが起きない限り「あいうえお」が分からなくなることもありません。

それと同じようなものではないかと。

 

そういう意味では、演奏方法というものをそれぐらいしっかりと「脳に認識させること・記憶させること」が重要なんじゃないかと思うところ。

 

一日やってみて駄目だったから諦めるとか、それは自分の才能・ポテンシャルに期待しすぎってものでしょう。

 

生活の一部・習慣にしてしまう

 

大人になってからピアノを習ってみたり、ギターを始めたりしてみたこともある身ですが、いやはや、これがびっくりするぐらい何も身に付きませんでした。

 

それなりに上達もしていたはずなんだけど、脳がちゃんと認識していなかったのか、刻み込むことをやっていなかったのか、今はもう驚くほどに弾けません。

 

まったく生活習慣に組み込めなかったし、動物的な基本動作にすることもできなかったんでしょうね。

要するに「ピアノが弾ける動物・ギターが弾ける動物」になれなかったと。

 

当たり前に立ち、歩く、走る、言葉を話す、文字を覚える、その状態にできなかった。

当然、自転車でスイスイという状態もつくれなかったわけです。

 

楽器を弾きたい上手くなりたいんだったら、まずはとにかく継続して体に刻み込む。

必要な情報として脳へ確実にインプットさせる。

それが何より重要なんじゃないかと感じる次第。

 

そうすれば、休みや間を入れても下手になることがなくなるとも想像します。

 

むしろ、適切な休養こそが必要であるとも言えますし、「根性出そう!」って時点で負けてる気がしないでもない。

 

いくら美味しいものでも毎日食べてれば飽きるか体にも良くない可能性もある。

惰性や倦怠に陥らないためにも、適度な距離感や新鮮味を維持するのもポイントなんでしょうね。

 

それかもう、徹底して体の一部にしてしまい、呼吸と同じようなものにしてしまうか。

 

『楽器を弾く=生命維持活動』

 

みたいな感じ?

 

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楽器は持ってるだけでも触ってるだけでも上手くなる

 

例えばの話、まったく経験がないのに大型トラックやバスを運転することになったと考えてみて下さい。

超高確率で必要な感覚が分からないだろうし、コツなどもとてもすぐには掴めないはず。

 

「後ろどんだけ長いんだよ!分かんねーよ!」って話になる。

 

それと同じように、初めて持った楽器の扱い方も感覚も分かるわけがない。

長さだって未体験、重さだって未体験、構造から何から全てにおいて無知。

 

この状態を放置したままどうやって上手くなるのかと。

 

ちょっと極端なようですが、楽器をケースに入れて背負って移動するだけでもひとつの練習になるんじゃないかと思うんです。

 

テレビでも見ながらネットで動画を見ながら楽器持ってるだけでもいい。

汚れを拭きとったり磨くだけでもいい。

寝っ転がりながら触れてるだけでもいい。

ストレッチの道具にしてみるなんてのでもいい。

 

まずはとにかく「それがどんなものなのか?」を認識することが大事でしょう。

重さや形を把握し、それを自然と扱えるようになることが重要。

それが分かってなければどれぐらいの力が必要なのか、どういう力を使う道具なのかも判断できません。

 

振り回せるようになったとか、手を離しても大丈夫になったとか、それも立派に上達の証拠ですね。

どんな長さか重さかを認識し、どれぐらいの威力があるのか危険なものかも把握。

どうしたら楽器が安定するのかまたは崩れるのか、無意識・本能レベルで理解してきている。

 

自転車の話ではありませんが、何も分からない内は姿勢を保つことすらできないように、楽器の構え方についても意外なほど未知で無知なものです。

 

そう考えれば、楽器に触れているだけでも上手くなる、重さと形を感じているだけでも上手くなる、どんな道具なのかをまず体で覚える、これを否定する理由はないと思います。

 

弦だって同じですね。

その硬さや弾力を知ることがスタートになる。

 

「様になる」というのはもちろん「オーラがある」というのは、これを極めた状態とも言えるのかもしれません。

 

例に出すならば、「ジェフ・ベック」なんかがそんな印象。

あのクラスになるともう、楽器と体が一体化しちゃってるなと。

 

才能の正体を考察

 

飲み込みの良い人、勘の良い人というのが世の中にはいます。

何も教えてないのにすぐ様になってしまったり、吸収のスピードも異常に早かったりする。

 

そういう人を見てしまうと「才能が違う」と考えてしまうのも無理はありません。

実際、物が違うって現実はあるし、否定のしようもない。

前述の大型トラックなどにしても、すぐに感覚を理解してしまう人がいるはず。

 

ただ、そこで話を終わらせてしまっては面白くない。

凡人が思考を停止させてしまったら尚更つまらないだけだし、上達の妨げになってしまう。

自分なんかもうベースやめてるかもしれませんね。

 

先程の脳の話ではありませんが、ひとつ想像するに、

 

「物事を把握する力」

「理解し実践できる力」

 

というのがすごく重要なんじゃないかと考えるところ。

 

「認識力」「情報処理能力」とも言うんですかね?

「自分が何をやったら良いのか?」ということを瞬時に掴んで実行できる力。

または「望むままの動作を行う力」「イメージを形にできる力」でしょうか?

 

それがある人・分かっている人はやっぱり違う。

考えるまでもなく脳の指令を全身に送れるのは本当に凄いことですよね。

それだけ体を素早く動かすことができるし行動が的確にもなる。

 

このあたりは音楽の話で言えば、超一流のジャズプレイヤーやセッションマンなどを見ていればピンと来るところなんじゃないかと。

 

ああいった人達の反射神経や処理能力というのは本当に人間離れしている印象。

反応速度と言うより、もはや予知能力レベルで先に何が起こるかが分かってるような人だっている感じ。

 

まったくもって尋常ではありません。

 

才能は鍛えるもの

 

ただ、これと言うのは単に「才能」の一言で済ませられる問題ではありませんよね。

 

体を鍛え知識を蓄え、日々鍛錬していくのはもちろん、膨大な経験値を積み重ねてきたからこそ可能になるのだと思います。

 

根本的なアウトプットのスピードを上げるからこそ、情報に対して一呼吸置いてからとかよく考えてとか、そんな処理をする必要も間を持つ必要もなくなっていく。

 

そういう意味では「才能を鍛える」という考え方をするのも面白いし、必要なことでもありそうです。

単純な練習を積み重ねるのではなく、前述した理解力や情報処理能力を鍛えるという、その意識と認識で自分を変えていく。

 

そうすることで、日常のすべてを練習に変換していくこともできるようになるのかもしれません。

 

学生だったら、嫌いな勉強も「脳を鍛えるトレーニング」であるとか、「理解力の向上と鍛錬」などとして考えると、退屈なものからちょっと認識が変わってくる可能性がある。

 

まぁ、ちょっと漫画的か理想論的な気もしますが、でも、「違う人」ってそういうものなのかなと。

 

「楽器は楽器」

「音楽は音楽」

「ベースはベース」

「ギターはギター」

 

こうやって分離しちゃってると、脳の回線的にも思考的にも運動的にも損しょう。

根本的な理解力と処理能力を高めていけば、どんな業界・世界であってもスムーズに事を運びやすくなるはず。

 

鍛えているのは「ただ楽器を上手くなること」だけじゃないわけですからね。

 

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脳を鍛えて使う

 

具体性がなく、ちょっと極論か机上の空論になってしまっている感もありますが、決して大袈裟な話でもないと思うのが一連の話とこの話。

 

楽器を上手くなりたいなら、「脳を鍛えることが最重要!」と言ってもいい面が絶対にあると感じます。

 

自分なんぞでも「何でそんな速く指が動くんですか?」と聞かれることがあったりしますが、その質問に対してはこう答えることにしています。

 

「弾けないと思ってないから」

「動くのが当たり前のものだから」

 

と。

 

もちろん、現実的には出来ないこと・無理なことは沢山あるけれど、まったく指が動かない人に比べれば速く動く方だという確信はあります。 

 

もっと速く弾ける人というのは恐らく、それをさらに超強力に認識しているんでしょうね。

もしくは、ただやりたいことをやってるだけ、勝手に動くようになってたって感じでしょう。

 

そしてもちろん、練習も大事だけど映像で見たり聴きまくるってのも本当に大事です。

 

「あぁ!こうやって弾いてるんだ!」

「人間ってこんなに動けるんだ!」

「俺も真似してみよう!」

 

など、動作を認識して行動するだけでも自分の動きは変わります。

 

これまた自分の痛い話をするのであれば、10代の頃に頭の中にあったのが、

 

「動きを見ただけで上手くなれる!」

 

という風になんの根拠もなく自信満々に思い込んでたこと。

悟空かよケンシロウかよって感じ。

 

実に恥ずかしい思い出とも言えますが、ただ、あながち間違いではなかったと感心もするところ。

 

冗談抜きに、上手くなれないのは「上手く弾く姿」「上手く弾くための動作」を知らないことが大きな原因でもあると真面目に考える次第。

 

その意味では憧れや理想のミュージシャンの物真似をするってのは合理的ですよね。

「格好いい動きの真似」って実に効果的な練習方法だと思います。

 

衝撃と影響を受けた人物

 

「脳を使う」というこの話。

 

音楽学校時代の同級生である16歳の少年から最初に教わりました。

それとも当初は15歳だったのかな?

 

年下なんだけど恐ろしく頭が良くてびびりましたね。

教科書などは5行読み・7行読みが当たり前と言っていた記憶。

実際、譜面を読むのも早かったし、曲のアレンジのスピードも凄かった。

 

よく知りませんが、すでに高校卒業分の学業は修めていたらしく、それで何やかんやとあり、自分と同じ学校に入ってきた様子。

 

いや、彼の思考回路に触れることができたのは本当に貴重な体験だったなと。

 

ちなみに野球が好きだったらしく、遊びでよくピッチャーをやってたそうな。

しかし、超細身で背も大したことないし鍛えていた様子もありません。

でもそれで130km以上の速球を投げられるとか意味が分かりませんでした。

 

彼曰く、

 

「脳を使って投げてる」

 

とのこと。

 

いや、人間ってすごいですね。 

 

自信・確信が自分を成長させる

 

「4回転ジャンプなんて不可能だろ?」

 

なんていう世界だったのかもしれないフィギュアスケートの世界。

それも今では当然の技のようになりつつあるのだから恐ろしい。 

しかし人間の歴史というのはそういう積み重ねによるものなのかもしれませんよね。

 

「俺ならできる!」みたいなそういう自信・確信を持つ。

そして理想を認識、やるべきことを理解し実践することで「進化」に繋がるのだと考えます。

 

「不可能」と諦めたらそこで終わってしまうし、体も動かなくなる。

 

このブログでよくやってる奏法の研究にしても何にしても、それを「オカルト」だの「宗教」だのと言って切り捨ててしまうというのは、非常に安易で面白くない思考と反応と言えるでしょう。

 

例えばの話、

 

「酸素?そんなものあるわけねーだろ!見えねーし!」

 

こういうことを言っちゃったら物凄くつまらないと思いませんか?

 

そこで止まってしまうかやめてしまうか?

それとも研究して解明するかという話ですね。

 

そういう意味では、根拠があろうがなかろうが「自信」というものを持つことが何よりの才能であると言えるのかもしれません。

 

繰り返すようですが、

 

「俺ならできる!やれる!」

 

これが有るか無いかが人生の全てになったりもして?

 

誰が見たってばかばかしい、できっこない、ありえない。

そう思っていたものを形にしたり実現したり、それは本当に凄いことだし素晴らしいことですよね。

 

誰が信じなくても自分は信じている、時には迷い折れながらも確固たる自信と確信はあるという、それが強さと才能になるんじゃないかと。

 

そしてそれが強い人ほど成功する、楽器も上手くなるはず。

能力を極振りするかどうかはともかく、人間にはすごい力が備わっているものだと確信します。

 

才能を身に付けるというのは恐らく、それを使うか目覚めさせるかの話なんでしょうね。

頼るものでも幻想を抱くものでもなく、バンバン使うもの、ガンガン鍛えるもの。

 

自分の場合ベースが好きなんで

 

「もっとベース好きになってやろう!」

 

って感じが良いのかもしれませんね。

その才能ならありそうだし、さらに鍛える自信もあります。