ベースと左手 (15) 指を開かないフィンガリングとグルーブについて考える

ベースと左手 (15)

 

手が大きくても小さくても同じ人間 疲れるのは一緒

 

ガタイのいい人ってのはその体格だけではなく、手の大きさにも驚かされます。

それこそ、グローブみたいな手をしている人もいますよね。

 

自分と比較した場合のあまりの別物っぷりと来たら、もはや笑えてくるものすらあるかもしれません。

 

しかし、そこに安易にコンプレックスを抱くのもどうかと思うところ。

 

どんなにとんでもないサイズの手の持ち主だとしても、思いっきり拳を握りこんでいれば疲れるし、脱力だってできないはず。

 

それと同様、無理なストレッチを続けていればそれだけの負担になるでしょう。

同じ人間同士、根本的な構造に違いはないものだと考えます。

 

手を無理に開いたり伸ばしたり、そうすればするほどスムーズではなくなるし、反応も動作もそれだけ遅れてしまうように感じるところ。

 

きついものはきつい。

辛いものは辛い。

 

それを無視して画一的な奏法を押し付けるのは反対、

固定観念に支配されてしまうと、演奏は逆に困難なものになってしまいます。

 

「もっと楽に弾きたい」

「力強い音を出したい」

「グルーブしたい!」

 

こう望んでいるのに、人体への無理が常とかどうなんでしょうね?

 

・負担のかかるワイドストレッチやフォームの強制は本当に必要なのか?

・基礎だ常識だからと自分に無理にあてはめる必要があるのだろうか?

・体格も人体も無視した一つの方法しか認めないのか?

 

そんな疑問を抱いても良いんじゃないかと。

 

手がでかくてもフレットを沢山を押さえる必要はない

 

『グルーブ』と言うと、黒人の存在がイメージとしても分かりやすく浮かんでくるところ。

 

「黒人だから!」とか「天性のリズム感!」みたいな、そういう変な幻想を抱いたり思考停止するのは嫌いですが、「やっぱ違うわ!」と思うのも事実。

 

彼らの根底から来るものを真似するなんて不可能なのかもしれません。

 

ただ、そこで話を終わらせるのはつまらない。

以前にも話したように奏法からの視点なども含め、もう少し具体的に考えられないものかと。

 

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前と同じく、再び名前を出すのであればチャック・レイニー。

 

雑誌のインタビューによれば運指について相当うるさいらしく、フリジアンスケールとロクリアンスケールの運指をメインに使用するとのこと。

 

これというのは要するに半音を弾く形、人差し指と中指が並んだ運指が基本になるわけです。

さらに言うならば、指を広げる運指ではなくむしろ、閉じた形になるぐらいの運指にしやすくもなる。

 

このあたり、この公式デモ(Xotic)などを見てみると分かりやすいのではないかと。

 

CHUCK RAINEY 1 - YouTube

 

手がバカでかいことで有名な人ですが、こう見てみると、1フレット1フィンガーのフィンガリングはほとんどやってない印象です。

 

それどころか手は閉じているぐらいだったり、ネックだって握りこんでいたりする。

 

どちらが良いか悪いかと極端に捉えたり決めるべき問題ではありませんが、少なくとも、

 

「指は広げるもの!」

それが基礎!」

「絶対必要な方法!」

 

という固定観念や主張について疑問が湧くのは確か。

 

そりゃ、チャックは手がでかいことで有名ですし、無理に開く必要がないのも事実でしょう。

同じ条件で考える方がどうかしてるってのも間違いありません。

 

でもだからと言って、自分の手のサイズが小さいからと無理にストレッチしたり、負担のかかる運指をすることが望ましいとは思えません。

 

皮肉なものでそうすればそうするほど、軽やかなタッチやグルーブからは離れていってしまうんじゃないかと想像します。

 

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適正な運指が良い音とグルーブに繋がる

 

『運指』という言葉にしても『フィンガリング』という言葉にしても、どちらかと言うと、難しい技術を指すイメージをしてしまう気がするところ。

 

技巧的な話をしているように感じてしまったり、小難しく小賢しく思えてしまう部分があるものではないかと。

 

実際、これについては自分もそうですね。

 

何かこう、

 

「どう複雑に動かすか?」

「どうやって速く弾くか?」

「難しい事をやりたい!」

 

みたいな方向に考えたりイメージしがち。

 

でも、本当に最初に考えるべきなのは、

 

・いかに無理なく体を使うか指を動かすか?

・弦を確実に押さえるにはどうするか?

 

そこからですよね。

 

人にとって自然な動作や綺麗事だけでは済まされないのが演奏というもの。

逆に言えば、そこから遠くなればなっていくほど、グルーブという存在からは離れていくのかと想像もするところ。

 

動作が複雑化すればするほど、体が自然と動くノリやダンスとは違うものになってしまいそうだし、世俗から離れた仙人的な方向性に行ってしまうものかもしれません。

 

難解で格好いい音楽というのも存在はしますが、それが本当にノリやすいのか分かりやすく踊れるのかと問われたら、これはやはり、「ノー!」と言うしかない面があります。

 

その無理や動作を自然なものとするのが技という存在、修練の賜物なんだけれども、天然の動きやそこから生まれるエネルギーにはなかなか勝てないんじゃないかとも思うわけですね。

 

開けば開くほど力は逃げていく一方、閉じれば閉じるほど力は溜まるけど、動けなくもなっていく。

 

そこをどう上手くコントロールするか?

音楽的に理にかなった動きというものは存在するのか?

自分が心地よく自然な動きができていないのにグルーブするのだろうか?

 

このあたりに何か大きなヒントが存在するのではないかと考える次第。

 

いずれにせよ、無理に指を開くこと、基礎だ基礎だとコチコチにこだわるのはどうかと思うのは間違いありません。

 

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