ベース・音楽・楽器とその継続 飽き性・根性なしだから続いた気がする話

飽き性・根性なし人間の継続と積み重ね 

 

ベースを始めて20年以上

 

人生振り返ってみても、他にこんなに続いたものはありません。

 

しかも面白いことに、

 

「才能ない・・」

「もうやめよう・・」

 

なんて考えた記憶がまったく無かったりします。

 

唯一、ジャコのドナ・リーを初めて聴いた時に、

 

「これが天才ってやつか!」

「こりゃものが違ぇわ!」

「ベースやめろって言われてるみたいだ!」

 

なんて感じたことはありますが、実際にはベース熱がより燃え上がったところ。

やはり、やめようなんて考えたことは一度もありません。

 

と言うより、

 

『やめる』

 

この意味が分からないのかも?

それを選択するメリットがないなと。

 

『休む』

 

こっちは分かりますけどね。

 

Lv1で魔王に挑もうとする疑問

 

実に変な話だと思うのがこれ。

 

初心者なほど大きな敵や絶望と闘っている人が多い印象。

なんでそんなシリアスで自分に厳しいのかと疑問になったり。

 

どんなに才能豊かで選ばれた血筋の勇者でも無理なものは無理。

Lv1で魔王に挑んでたら、そりゃすぐゲームオーバーになりますよね。

 

と言うか魔王に挑むどころか、そのへんで行き倒れて終わり。

 

地道にやるにしてもその根底に、

 

「選ばれた人間しか楽器を弾く事は許されない!」

 

こんな空気や掟を自分でつくっても息苦しくなるだけ。

 

ましてや、

 

・段階や過程をすっ飛ばす事が前提

・いきなり完璧なところに辿り着ける

・積み重ねがなくても問題ない

・一瞬で理想の自分になれる

 

こんな能力が自分に備わってると期待するのはあまりにも現実的ではない。

創作の世界ですら「えぇ・・」と引かれてしまう設定でしょう。

 

『まず地道にレベル上げ!』

 

これがゲームの王道な楽しみ方ではないかと。

 

裏技や超能力的に上手くなる方法、都合の良い魔法みたいなものを求めたりするから、すぐ破綻するんじゃないかと感じます。

 

好きこそ物の上手なれ?

 

この言葉が間違いないと思う一方、好きすぎるからこそ悩み苦しんだり、気持ちが途切れた時に綺麗さっぱりしたくなったりもするから、人間ってのは不思議だなと。

 

実際、一点だけを見て突き進もうとした人の方が案外、すぐ折れてやめてしまったりなんてのを見ますし、自らに厳しい掟を課したり重い選択を強いて潰れていくという。

 

・才能豊かで素晴らしい曲を作れる

プレイもオリジナルで魅力的

・とにかく音楽も楽器も大好き

 

これだけ聞くと理想的なようですがその一方で、

 

・完璧主義で思い詰める

・考えすぎで練習すらできなくなる

・結局は音楽から離れてしまう

 

こんな例も珍しくはないんじゃないかなと。

と言うか、実際にいました。

 

「死ぬほど好き!

 

なんて言葉の通り、最悪は命を絶ってしまう人などもいます。

言いたくないけど、これも実際にいました。

しかも一番尊敬していた恩師だったというね。

 

近しい人でそういうことがあると本当、色々と考えさせられますよね。

変に美談にしたり称賛するのもどうなのかって個人的には疑問になります。

 

皆が皆、そこまで行かなきゃならないのか、目指さないといけないのか?

そもそも、それで本人は満足だったのか、幸福だったのかなって。

 

そういう意味では、命もかけずダラダラ続けてるだけの自分なんか、大して音楽もベースも好きではないと言えるのかもしれません。

 

『志も夢もない人間』

 

こうも見なされそうですが、でもまぁ、最期まで楽器も音楽を続けられ楽しむこともできそうなのだから、皮肉と言えば皮肉。

 

・好きすぎて思いつめ壊れていく人間

・適当でいい加減でも続けれられる人間

 

どちらが好きなことをやってると言えるのか?

そもそも比較して考えるべきことなのか?

 

なかなか興味深いテーマ、人生の重い話です。

 

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飽き性だから常に新鮮 

 

中学時代だけでも、あれやこれやと色々と忙しく詰めこんだ身である自分。

逆に言えば、ほとんどがニワカで終わってしまってるのも否定できないところ。

 

「幅広い音楽性」

「ジャンル関係なく」

「柔軟性がある」

 

これ、良さげな言葉に聞こえそうではありますが、疑問になる点もあるわけです。

 

言いかえてみれば、

 

・何も極めたものがない

深く入りこんだ事もない

・好きにも真剣になれない

 

そんな弱点でもあるのかなと。

 

「このバンドのアルバム全部集めるわ!」なんて気合もなかったり、誰か個人を徹底的に研究したこともないし、曲を深く分析するなんてこともしませんでした。

 

中学文化祭でやったバンドなんかにしても、突貫工事のその場しのぎって感じだったり、悪く見ればかなり音楽をなめていると言うか、やっぱりニワカ気質で深みがないなと。

 

一方、それが功を奏してか常に新鮮な気分でいましたし、飽き性だったからこそ色々と知ろうとすることができたとも考えられます。

 

根性がないから弾けそうな曲からやったり、壁を感じたら勝手にハードルを下げる。

難しいのは後回しにして他から進もうとしたり、そういうのが良かったのかなぁと思ったりもする。

 

悪い方向に考えようとしたり、あれがないこれがないと思い詰めた場合、人間っていくらでも落ちこめますよね。

 

変な話、弱者であることを認めるのも必要なことなのかもしれません。

そしてそれは必ずしも悪いことではないと考えた方が逆に前向きなのかも?

 

成功体験は必要

 

物事の継続において大きな力になるのはやっぱりこれなんでしょうね。

手応えを感じて喜びと楽しみを実感できるからこそ続けられる。

 

この基準をいきなり異常なところに持っていこうとするから、話がおかしくなってしまうんじゃないかと想像します。

 

自分の音楽体験で言えば、最初の成功は中学の文化祭になります。

このあたりについては、過去記事の方を見てもらえば分かりやすいでしょう。

 

たかがガキの遊び。

されど、その一歩があってこそ。

 

逆に、そういう子供の遊び程度の喜びすらも体験したことがなかったり、地道に積み重ねた結果を実感したこともないとなると、楽しさや面白さがいまいち分からないものなのかもしれません。

 

もしくは失敗の体験がほとんどなく、成功があまりに大きすぎたがゆえに後で苦労することになるとか、そういうこともあるはず。

 

武道館だの東京ドームに出演、世界ツアーだのデビューだの、そこまで行って成功したと見なされるのであれば、自分なんかカスみたいなもの。

 

カスどころか、この世に存在してないも同然のレベル。

 

またそれは自分に限った話ではないでしょう。

世の中の実に多くの楽器奏者がそんな扱いになってしまうはず。

 

もっと言うならば、観客からその場に関係ない人まで含め、人生を失敗している扱いになってしまいます。

 

しかしまぁ、普通に考えてそれは無茶苦茶な認識だと分かるところ。

そもそもの基準値がブッ壊れてるというのは恐ろしい話。

極論ですが、その極論に潰される人もいるんじゃないかと。

 

小さなことでも何でも、それを成功、成長と肯定。

一つ一つ、積み重ねることが重要。

 

綺麗事のようですが実践は極めて困難、現実的で非情。

些細なことでも楽しみ喜ぶというのは意外と難しいもの。

 

自己肯定感の薄い人も多いであろうこの世の中。

人の成功を妬んだり苦しむ人も同じく多いだろうこの世界。

 

その重力に引っぱられ続けていると悲惨ですが、残念ながらこの力は絶大。

 

ゆえに、小さな成功でも成果でもなんでも、喜んだ方が得だと考えます。

 

千里の道も一歩から

 

お約束なことわざ。

でもまさにこれなんだと思います。

 

「一曲弾けるようになった!」

 

こんなことすらなく完璧を目指しても辛くなるだけ。

 

上ばかりを見て自虐超人になるのは避けたいもの。

あまりに遠すぎる世界を見る夢想家になるのも勘弁。

 

・飽き性だから新鮮さを求める

・体力がないから技を身に付け

・根性がないから我慢せず休む

・才能も華やかさもないから現実を見る

・難しい事は出来ないからシンプルにする

 

なんでも考えようであり、地道に長く楽しんでこそですね。

 

「一日一小節!」

 

こんな低い志と目標でも長く続ければ確実に上手くなれます。

少なくとも、すぐ諦めてしまう人とは比較にならない積み重ねの差が生まれるのは間違いない。

 

もう少し付け足すのであれば、

 

『諦める上手さ』

 

これを身に付けるにも、継続は必要なことだと感じる次第。

 

練習方法が間違ってる、明らかに向いてない方法があるなど、そういうことに気付かないまま一生懸命に続けるのも悲劇です。

 

こういう時、『飽き性』『根性なし』を上手いこと使えると便利ですね。

 

成果がまったく感じられないもの、積み重ねを感じられない苦行は切り捨てられます。

 

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