ベースと腱鞘炎 怪我をしない為の左手作りと心構え note

note第三弾

 

note.mu

 

このブログとは別に書いているnote。

今回もまた過去の自分に読ませたい記事になりました。

 

弦高低い癖に左手の母指球がいつもパンパン。

痛くて拳が握れなくもなったり、腰もやっちゃったり本当に酷かったですからね

 

どれだけ理に適ってない無茶な弾き方をしていたのか、それを楽器の調整で誤魔化そうとしていたのか、後悔するばかりです。

 

意を決し、それを解消するための練習に取り組んだものですが、ま~、最初は違和感が酷くてまいりました。

変な癖が染みついてしまっている人間ほど、それを矯正するのが大変な作業になるわけです。

 

ちょっと油断するとすぐいつもの弾き方に戻ってしまったり、「こんなの俺のやり方じゃねぇ!」とか言い訳を始めたり、なかなか前進できません。

 

誇張ではなく、一からフォームを作り直した自覚があります。

よくもまぁ、ここまで弾き方を変えたものだと自画自賛したくもなったり。

 

真面目に基礎練習をやっている人ほど危ない

 

怪我ばっかりしていた過去の自分。

その練習量だけは褒めても良かったかなと思うところ。

スケール練習だけでも数時間とか当たり前のようにやってました。

 

「これで上手くなれる!」

「力が付けばいつか楽になる!」

「慣れれば疲れなくなるはずだ!」

 

こんな風に信じてひたすら指を動かす練習をしていたなと。

実際、人間というのはそうやって地道に鍛えられていくものですよね。

 

でも、これというのは『正しく練習していれば』の話。

 

「限界の先に光がある!」なんてのは漫画的幻想と言うか、そう都合よくはいきません。

それが可能になるのは最初から強い人、頑丈な素質のある人、柔軟な素質のある人ですね。

そこから外れていた自分みたいなのが無茶やっても体を壊すだけでした。

 

また、ろくにケアしなかったのも最悪だったと後悔するところ。

無茶したら休めばいいんですが、そんな選択ができるほど頭は良くなかった。

 

「言い訳!」とか「甘え!」みたいに変換したり、痛くても練習続けちゃうもんだから、どんどんおかしくなってしまうという。

練習は確かによくしていた一方、それが本当に良かったのか正しかったかと問われると、ものすごく大きな疑問符がつくのが正直なところ。

 

スパルタに酔ってる節があったり、明らかな自覚があるならば、それは一刻も早く冷静に見つめ直した方がいいでしょう。

 

壊れてから気付くのはまったくおすすめしません。

 

一生使えるものを書きたい

 

noteの方で公開している記事というのは、

 

『誰より自分が欲しい情報』

 

これだったりもします。

 

過去の自分に伝えたい意味でも、今の自分に警鐘を鳴らす意味でも、非常に助かる存在であると認識しています。

 

なんせ「もっと早く知りたかった・・」と言いたくなることが多いですからね。

 

非効率で遠回りばっかりしてきた自覚があるだけに、その研究をできる意味でも形として残せる意味でも、noteの存在は実に楽しくありがたいものです。

 

繰り返すようですがこれは本当、失敗続きだった過去の自分に叩きこみたいってぐらいの内容とコツを詰め込んだと声に出したいところ。

 

note.mu

 

このブログの方では意図的に話していないことも載せています。

読む義理がなくても興味がなくてもおすすめです。

 

指が開かないこと、動かないことに悩んでいる方。

怪我と負担に苦しんでいる方。

もっと上手くなりたい方、楽をしたい方、是非とも読んでみてください。

 

怪我や腱鞘炎に限った話ではなく、手の大きさに悩む人、小指が弱い人、そういった左手の悩みの解決のための内容も詰め込んであります。