3・11と計画停電 エレクトリックベースが終わった日

電気楽器への致命傷

 

あまりに多くの意味で忘れることができないであろう東日本大震災。

全てにおいて想像を絶すると言うにふさわしいこの出来事。

その影響は埼玉に住む自分にも思わぬ形として現れることに。

 

『計画停電』

 

これが本当に音楽的にもショックな事件でした。

 

ただでさえ無力感と絶望感を味わっている中、まさかこんな形で自分が否定されることになるとはまったく考えもしなかった。

 

しかし、当然のことなんです。

エレクトリックベース、電気がなければ音は出ません。

 

どんなに高級であろうと、こだわった愛機であろうと、電気を失ったその瞬間に楽器としての価値を失ってしまう。

 

今まで考えもしなかったこの事実にひたすら困惑しました。

 

電気を奪われると無力になる

 

何がショックだったかって、エレクトリックベースがなくなれば自分から音楽が遠くなっていってしまうという、その無力さと情けなさが本当に嫌で仕方なかったですね。

 

自分はエレクトリックベースしか弾けない人間です。

うたを歌っていれば幸せとか、ギター1本あれば満足という人間でもない。

作詞作曲に命をかけるわけでもないし、他人を上手く使うというタイプではもない。

 

つまりは電気を失った瞬間、その存在意義も価値も失ってしまう。

楽しみも喜びも失い、残酷な宣告と現実が待っている。

そしてその事実に成す術もなかったのがこの上なくショックだった次第。

 

パッシブもアクティブも何もありません。

良いケーブルもエフェクターもクソもないのです。

電気がないという致命傷はどうにもすることができません。

自分は無力に、楽器は無価値になってしまう。

 

アコースティック楽器への憧れ

 

この上なく安易な発想ですが、しかしもう、それにすがるしかない。

でもそんなものは持ってないし、使い方もよく知りません。

 

今でもまったく把握できていませんが、アコースティックベースはその価値をもっと高めていい楽器なんじゃないかと考えています。

 

コントラバスという存在もありますが、正直、楽器としても感覚的にも違うものなんですよね。

「エレクトリックじゃないならこっちにしよう」という発想には自分はならない楽器。

 

練習さえすればそれなりの習得はできるかもしれないけど、でも、そういうことではない。

何かが決定的に違ってしまっている、そんな楽器なのです。

 

そう考えるとやはり、ちゃんとしたアコースティックベースというものがあってほしい。

ギターの物真似やおまけで作られたのではなく、生の音で満足できるベースであってほしい。

 

そんな存在がないものかと夢を見ていたりします。

 

ベースが不要な楽器とは思いたくない

 

シンプルの極みだったり、純粋そのものな音楽だったり、理屈を超え技術を超え、本当に素晴らしいものが存在します。

そこにあれこれとケチをつけるなんてどれだけ野暮でくだらないかと言いたくなる。

 

一方、そういう場の多くでベースの必要性がなかったりもする印象があるのが寂しい。

 

前述したように、歌声だけで感動させられる、ギター1本で純粋に音楽と向き合う姿など、それもとても素晴らしいものです。

電気も何もなくても、人々の心を強く動かすことは可能でしょう。

 

でも、そこにベースって存在はないんです。

極論と言うか、あまりに卑屈な見方かもしれませんが、しかし、無理に存在させる必要を主張できる人はそう多くはないはず。

 

この距離感と無力感ってなんなのかなって凄く寂しくなるんですよね。

音楽が純粋にアコースティックになるほど、ベースの存在が消えていくという、この悲しさに抗うことはできないのかと、ものすごく歯痒くなるところ。

 

これは本当、あの3・11と計画停電でも非常に強く感じたことです。

今はもう電気なんか安定しているとか、そんな心配するだけ無駄とか、そういう問題じゃないんです。

 

エレクトリックのベースプレイヤーが電気を失ったらどうすればいいのか?

そもそも音楽に対しどう向き合うのか、何ができるのか、何をするべきなのか?

アコースティックな場で無力な人間になってしまうのか?

根本的には不要な楽器になってしまうのか?

 

この問題を放置せず、何らかの答えは必ず出したいと考えています。

 

究極のアコースティックベースを求めて

 

検討中・・・ではなく、実はある楽器をオーダーして過去に1本作ったりしたことがあります。

 

仕上りも非常に素晴らしく、多くの可能性を感じたのですが、残念ながら問題も多かった。

エレクトリックとの両立を考慮したためか、どっちつかずになってしまった印象も強かったんですよね。

 

・鳴りを豊かにした分、ハウリングが起こりやすくなった

・ギターからの流用では理想的に対応してくれるPUがない

・最適な弦間ピッチが分からなかった

・軽いタッチでは鳴らないが強いタッチではアンプからの音がいまいちに

・生楽器なのかエレクトリックなのか使い道が分からない

 

こういった違和感を解決することができませんでした。

 

次はもう、電気的な部分がまったく関係ないものにしたいですね。

そこがスタートと言うか、まずエレアコというのは発想的にも順番的にもおかしかったのだと反省する次第。

 

アコースティック楽器として完成された後、それを効率的に電気的に増幅するにはどうしたよいのかと考えるべきでした。

 

究極のアコースティックベースにして原型になるべき楽器とは何か?

自分のその答えをまた形にしてみたいですね。