「練習しなくていい」は信用しない方がいい

まずは練習

 

己と向き合うためか芸術性を磨くためか、「練習なんかするな!」と力説している人が世の中にはいたりもしますが、それを真に受けると酷い目に遭うと自分は考えています

 

「人生勉強しろ!」だの「遊びまくれ!」だの言うのもお約束でしょうかね?

とにかく楽器以外、音楽以外のものから何かを得ろと意味深げに説く感じ。

 

しかしまぁ、

 

・若い頃は超練習しまくり

・多忙なレコーディングの日々

・毎日ライブ漬け、ステージで勝負

・現役バリバリ

・後進の育成にも励む

 

など、そんな事実があるのにそれを無視して切り捨て、

 

練習なんか必要ない!」

 

と言うのは、正直、とんでもなく無責任に思えるところ。

 

で、「そうは言っても若い頃は練習漬けだったんじゃ?」と改めて尋ねてみると、「当たり前だろ!練習せずどう上手くなるんだよ!」なんて答えが平然と返ってきたり、ま~、何とも恐ろしい話。

 

実にテキト-、いい加減なものだと逆に感心しますが、まったく油断も何もあったもんじゃないと呆れますよねほんと。

 

練習できる体・心であることが大事

 

自分の創造性、芸術性にどうにもならない行き詰まりを感じたり、技術も極めてしまったような感覚があるのだとしたら、これは確かに、いったん音楽から離れてみたり、楽器を手にすることを休むのも効果があるのかもしれません。

 

そこまで大袈裟な話でなくても、明らかな体調不良を抱えていたり、練習によって痛みや違和感が発生してしまうのではまずい。

 

そうなった場合はやはり、素直に体を休めたり、何がいけないのかと分析することがとても大切ではないかと感じます。

 

それか、まったく別のことに取り組んでみて、身も心もリラックスさせるのも良いと思います。

頭の中がグチャグチャで詰まりっぱなしだと、思考も鈍ったりおかしくなりますからね。

 

ただまぁ、それを理解するためには結局、練習が必要なわけですから、はなから何もしないんじゃどうにもならない。

 

人にとってベストなものが自分にとってもベストとは限りませんし、残酷なぐらいに身体的な特徴も能力も違ったりするのが現実。

 

また、どんな素晴らしい天才であろうと、指の皮膚すらまったく出来上がってないのに長時間の演奏を続けることができるとは思えないわけです。

 

音楽の世界、死や破滅が美化されてしまうような傾向もある印象ですが、そこで語られる音楽家の晩年の演奏は悲惨だったとか、もはやアイデアなど何も出てこない状況だったとか、そういった事実も絶対にあるはず。

 

練習ができるということは、それだけ体力・気力が充実している証拠だとも考えられますし、そこに安易な破綻を求めたりすすめたり、変な幻想を抱かせるのは反対ですね。

 

遊んでそのまま馬鹿になって再起不能になったとか、まったく笑えません。

 

と言うかそもそも、そんな芸術の世界・領域に足を踏み入れる人自体がどれほど存在するのか、根本的にはそれも疑問な話。

 

下手で練習しない学生が頭抱えて自分の才能・芸術性に悩んでるとか、それはジョークとしか思えないような。

 

練習・積み重ねは身になる形になる

 

このブログで縦振動のタッチの研究、太い音の出し方、左手の使い方についてなどよく話題に出しますが、ベースという楽器を始めて20年以上、色々と取り組んでみてやっと、「何となく分かってきた」ぐらいな感想かもしれません。

 

それどころか、かえって先が遠くなったような気がしたり、できないことばかりが増えていくような印象すらあったり、その奥の深さにやられっぱなしって感じ。

 

ただそれでも、明らかにタッチの良くない人などをみると、これはやはり、自分のタッチの方に自信も確信も持てるし、また、それを具体的に教えられもするかなと思うのも確かですね。

 

「こうすれば音は太くなる!」って方法を自分なりに知っていますから、今までのその積み重ねというのをはっきりと実感する次第。

 

そしてもちろん、タッチが悪い人を見た時に限った話ではなく、自分のサウンドにもプレイにも「ベースらしさ」ってのが存在する確信はあります。

 

でもその一方で、自分とはまったく違う部分を鍛えている人にはぜんぜん勝てないはずですし、やっぱりそういう、「積み重ねてきたもの」って凄いんだと納得させられますね。

 

たとえば、多少の粗があってもステージングに命をかける人、その努力を惜しまない人など、それをちょっと指が動くだ動かないだのって価値観で測るのは馬鹿げている。

 

そう考えると、「単なる練習」には確かに大した意味はないのかもしれませんし、「継続して積み重ねる」ことにこそ、意味と価値が生まれるのかなと感じるところ。

 

前述のような、「練習なんかするな!」という発言がそれを意図しているのだとしたら、これは本当、凄く重く価値のある言葉になりそうです。

 

しかしまぁ、これについてはただのノリか捻くれ感の方が強いか、やはり、間に受けない方が正解でしょう。

 

いずれにせよ、継続して取り組むことによって何かが生まれる・得られるのは間違いないものだと確信します。

 

最悪、何も得られなかったとしても、「何もないのが分かった!無駄な時間を過ごした!という結果を得られますから、そこからまた前に進むことができますよね。

 

一日30分でも10分でも積み重ねればそれが1になる。

そして結局、その1の繰り返しが大切になる、「自分」という存在の元になるということなのではないかと。