【ベース談義】 太い音の出し方を考える (5) 自立と孤立について考える

技巧の発展・ソロ志向に伴う代償?

 

昨今、ベースの技巧水準が尋常ではなく上がってきている印象があります。

Youtubeなどで軽くみるだけでも、ま~、とんでもないプレイヤーが次々と確認できる。

 

凄まじいスラップなんてのはもはや常識。

ギタリスト顔負けに高音域を弾きまくれる人もいれば、ピアノさながらにタッピングを駆使してソロプレイを披露。

 

弦の数もどんどん増えていったり、常識的なベースの範疇をはるかに超えた領域で活動している人が現れていると感じます。

 

一方、音楽的にはどうかと言うと、可能性が羽ばたいているというよりはむしろ、非常に狭い世界に落ち着いてしまっているような気がしないでもない。

 

メロディ、ハーモニー、リズム、その三大要素を一人でこなせるのは勿論、エフェクターまで駆使した空間表現や世界観の構築まで実現できるにもかかわらず、「ポツン・・・」とした寂しい印象を受けることも多かったり。

 

孤高の域にまで高め、世界レベルで活躍している人も存在はしますが、大体の場合、かえって身動きがとれなくなっているようにも思えるかもしれません。

 

バイト・生活の維持で潰れていく学生

 

いきなり音楽学校時代の話になりますが、「上京して一人で生きていくぞ!」と息巻いてみたはいいけれど、想像以上の現実の辛さに潰れていくというパターンが凄く多かった気がします。

 

と言うか、ほとんど?

入学して数回顔を見ただけで消えてしまったなんてのも普通にいました。

 

危機感からか、ネズミ講にはまったり、精神的に病んでリストカットを始めたりとか、本当に心身共にボロボロな奴もいたのが現実。

授業を受けたり楽器の練習をするどころか、生活・生命の維持すら危うく見えるという、なんともひどい話。

 

当然、それで楽器が上手くなるわけがありませんし、本当に生きるだけで精一杯そうだったなと。

 

二年間の学費と家賃と生活費、それでどれぐらいのものになるんでしょうね?

少なくとも、とりあえず300~400万は出しているんじゃないかと想像。

 

それで苦労を買って夢を失い、苦い人生勉強・社会勉強をしたという結果だけが残ったのかと考えると、なんとも悲しくなってしまうような。

 

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ボンボン扱いだった自分

 

一方、親を頼りまくり、練習に明け暮れていたわたくし。

授業もほぼ皆勤賞で受けたり、とにかく上手くなることしか考えていませんでした。

 

月曜から金曜まで毎日のようにレッスンを受け練習し、たらふく食べ、風呂にも入り、よく寝るという、なんとも優雅な生活をしていたなと。

 

当然、「一人暮らしもできねぇガキが!」とか「ママが恋しいんだよなぁ~?」なんていうやっかみを受けたり、あまりよろしくない感情をぶつけられていたと思います。

 

しかしまぁ、学内で一番上手いであろう扱いを受けていたのも事実だったり、イベントで三回優勝・一回準優勝なんて結果が出ていたのもまた事実。

そう考えると少なくとも、上記のようにやっかんでいた人達よりは音楽の勉強に励み、努力もしていたことでしょう。

 

しょせんは小さな学校の話ですし、学生レベルの腕自慢や成果なんぞ大した経歴にも何にもなりません。

ただ本当、そんな現実があるということは身にしみて分かったような気がします。

 

正直、「あの人達、何をしに音楽の学校に入ったんだろう・・」と思わざるを得ない場面というのが沢山あったわけです。

 

自立しようと息巻いたり、必死こいて視野が狭くなるほど、求めている結果は遠くなっていく。

それだったら素直に助けを借りたり求めたり、やりたいことに集中した方が成果も出るし、それだけ信用も得られる。

 

なんと言うか、小僧の身ながらそんなことを痛感したかもしれません。

 

ベースはしょせんベース

 

上記の話と同様に考えるのは極端なようですが、「ベース1本でなんでもやってやる!」って意固地になっていくほど、かえって道は狭くなっていくようにも感じるところ。

 

超絶技巧を駆使したり、音楽のすべての要素をベースで埋めつくそうというのは凄いことなんですが、それで果たしてどれだけのことが実現できるものなのか、かなり疑問になってしまう。

 

ベースであることを自覚する、素直にギターの力を借りる、ドラムの力を借りる、ピアノの力を借りるなど、そうやって楽しんでいった方が自然と太い音も育っていくものなんじゃないかと。

 

自分が弾いている楽器の良さを知ると言いますか、他の楽器の魅力や存在を認めたり、そうすることで必要としているサウンドも分かってきますし、可能性も広がっていくかもしれません。

 

ベースの役割やサウンドを知らないから音が細くなってしまう、太い音の出し方も基準も分からなくなる、そもそもの関心もなくなってしまう、そういった面があるんじゃないかと想像します。

 

他の楽器に頼らず自立しようと必死になるほど孤立していく、それはなんとも皮肉と言うか、悲劇というものにも思える。

 

不思議なもので、「人を頼っちゃいけない!」と頑なになるほど、相手も冷たくなったり疎遠になっていったりもしますよね。

 

苦労したことが前向きな力として出せれば良いですが、まぁ、歪んだ卑屈な奴なんかに近寄りたくないと構えるのは当然という話でしょうか。

 

ベースにとって真の自立とは何か?

 

太い音を出すことを心掛けた場合、そんなことを考えていっても面白い気がします。

 

他の楽器と混ざったり力を借りることで何倍にも素晴らしく聴こえる音や太さというのもありますし、それを理解している人というのがバンドで凄く強い印象。

 

逆に言えば、「他者の存在なくしてベースが輝くことはできない」なんて見ることもできそうですが、しかしそれを極端に捉え、孤立した技巧の追求に走るというのも、やはり微妙に思えるところ。

 

・他者の拒絶が依存からの脱却なのか独り立ちなのか?

・適材適所に力を合わせていく行為は幼稚な思考と生き方なのか?

・そもそも完全なる自立とは何なのか?

 

なかなか興味深いテーマかもしれません。

 

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