人間は弱いもの
尋常じゃない出世欲があるとか、明確な目標とその実現の為に動くとか、それが人を突き動かすのも事実だと思いますが、逆に、そういった気持ちに依存するのも怖い気がするところ。
何をするにも精神的な動きに左右されてしまうようになると行動のすべてが重くなったり、無駄に疲れることも多くなるように感じます。
20年以上も楽器を弾いているとやはり、やめていった人達ってのもそれなりに見てきました。
情熱を隠さなかったり燃えてることをアピールしているような人ほど、気持ちが切れた時に意外なぐらい弱くなったり、驚くぐらい無力にもなる場合があるから皮肉な話。
気持ちの流れが来ないと満足に作業できない、無理に鼓舞しなければ行動できない、これは実はかなり危うい不安定な状況なんじゃないかと疑問になる次第。
それで今度はやる気やモチベーションがないこと自体を不安に思ったり、やたらネガティブに考えたり、必要以上に焦るなんてことになったらそれこそ本末転倒のような。
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そんなに使いたいかモチベーション
そもそも『モチベーション』なんて言葉をやたらと聞くようになったのはいつ頃からなのか、それもちょっと気になるところ。
スーパーアスリートとか第一線で活躍するような人達が己の限界や進退に悩んだ状況などで使うのなら分かります。
己を限界まで追い込んでいるような状態を長く続けるというのは本当に至難の業。
尋常ではない精神的なエネルギーも必要とするでしょう。
一方、普通の暮らしレベルの話やちょっとしたことをするにもモチベーションがどうのとか言われると正直、違和感しかない。
言い訳の常套句のために『モチベーション』という言葉が使われてしまっている印象も強いかもしれません。
やる気がなくても物事は続く不思議
「やる気なさそう」とよく思われる身ですが、確かにその通り、周囲に伝わる分かりやすい熱い気持ちとかやる気なんてものは自分の中にはなさそうです。
しかしまぁ、それで意外と物事が続いてしまったり楽器も上達してしまったりするのだから、人間とは不思議なもの。
変な話、このブログにしても精神的なエネルギーに依存していたら、とても続いてなかったでしょう。
・異常なテンションで燃えてるのが平常運転
・特に意識せずともやる気がある状態が普通
・変に鼓舞せずとも自然と上に行けてしまう
こういう人達はまた別種と言いますか、そんな領域を基準にして考えるのはどうなのなかと。
そんな超人を引き合いにしたり、モチベーションの有無の段階で苦悩し自分を卑下する、人生を楽しめくなり何も行動できなくなるなど、自分はそういうのは勘弁かなぁと。
他者のモチベーションの低さに絶望したり引きずられたり、それで己を見失ったりするのもどうなのかなと思いますよね。
やはり、「やる気至上主義」みたいなものには疑問を抱くところです。