超多弦ベースにはあまり惹かれない話

多弦ベースについて以前に話しましたが、自分は17歳の時、4弦から6弦に行った人間だったりします。

不思議なぐらい5弦には興味が無かったので飛ばしました。

前の話の通り、そもそもそれがないとコピーが出来ない為、6弦を弾く事しか頭になかったかもしれません。

 

多くの人がそうだと思いますが、自分も多弦に慣れるのには時間がかかりました。

今でこそ4弦の方に違和感を抱く様な身になりはしましたが、逆に言えば、それもこれも結局は慣れの問題なのかとも思ったり。

一応、感覚的に7弦までは問題なく弾けると考えています。

 

ただ、そこから上は厳しいしほとんど興味もない、それが正直な話かもしれません。

音楽的な必然も流石にちょっと薄いかな~と。

 

結局、人間である以上、どうやったって身体的な問題からは逃れないと言う事か、超多弦ベースに関してはあまり人類向きな楽器ではない様な気がするところです。

奏法的にタッピングがメインになってしまう様なのも辛いですし、それならチャップマンスティックの様な形状だったり、別の楽器みたいに仕上げた方が良いんじゃないかとも思ったり。

 

9弦とか11弦をバリバリ弾きまくれる人を実際に目の前で観たりもしましたが、同じ低い音域であっても、楽器としての響きがベースとしてかなり厳しくなってくる印象。

やはりもう完全に違う楽器って気がしました。

その人の実力であれば、恐らくは何でもこなすのだろうと想像もするけれど、このスタイルがスタンダードになる事はまず無いだろうなと感じもした次第。

新しい物や特殊な物に対する偏見とかそういうのもありそうですが、単純に楽器の構造として苦しい、響きとして無理がある、見た目にも不自然・異質でしかない、そんな印象が強いかもしれません。

 

先日の4弦についての話からも繰り返す様ですが、我々が人間である以上、身体的な制限が少ない事のメリットと言うのは計り知れない気がします。

そしてそれは、楽器の設計についても同じ事が言えるのかもしれませんし、機能美なんてものもそういった感覚から判断出来る可能性はあるかと思います。

 

正直に言って、超多弦はあまり美しく感じない、何かが破綻している、そんな印象を受ける物が非常に多いかなと。

楽器の存在自体が意義や価値になってしまっていると言うか、人間に勝ってしまっている様に感じる次第。

多弦である事自体が自慢であったり主張なのであれば、それはやはり色々疑問になるところです。

 

6弦ぐらいなら普通に見かける様にもなってきた世の中ですが、10弦とかそういうのがスタンダードな存在になる事はやっぱり無いかなって感じます。

脳の認識的にもそうなのかもしれませんが、単純に大変そう、複雑そう、面倒そうで拒否してしまうかなと。

 

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